tamarack
今日は久々に どマイナーなマニアック・ネタ。でも中身を知ると “ヘェ〜” がたくさん付きそうな、好事家にはタマラない美味しいネタでもあります。それこそ、グループ名が タマラック というだけに…

このタマラックは、CCM(Contemporary Christian Music)フィールドで活動していた6人組。2人の女性シンガー・ソングライターをフィーチャーし、大らかながらもテクニカルなフュージョン寄りのAORサウンドを創っていた。分かりやすくいうとシーウインド・タイプ。より正確には、シーウインドのサックス奏者キム・ハッチクロフトのプロデュースで2枚アルバムを出したCCMバンド:オメガ・サンライズに一番近いか。原盤発売元のParbar Musicは、カリフォルニア・ローカルのCCMインディペンデント。実質的には自主制作に毛の生えたレヴェルだったと思われる。ちなみにタマラックとは、カラ松のこと。だからこのジャケなのだ。

で、彼らに注目せざるを得ないのは、この3月に最強メンバーで再結成されて来日ツアーを行なったチック・コリア・エレクトリック・バンドの剛腕ベーシスト、ジョン・パティトゥッチの出身バンドだから。チックのエレクトリック・バンドがデビューした86年当時、パティトゥッチはほぼ無名の新人で、チックの大抜擢で一気に名を広めた。実際に彼のバイオグラフィを見ても、チックとの邂逅以前はL.A.でセッション・ワークを行なっていたとある程度。AORファンはロビー・デュークの1st『NOT THE SAME』(82年)、2nd『COME LET US REASON』(84年)でのクレジットをご記憶の方もあろうが、その他詳細は明らかではない。そこで81年にリリースされた、このタマラックのワン&オンリー作品。コレこそ、パティトゥッチがプロになって間もない頃の記録なのである。

パティトゥッチを最初に見出したのは、クリスチャン・ミュージックの若手プロデューサーだったジョナサン・デヴィッド・ブラウン。元々はセス(seth)というCCMの先駆的グループを率いた人で、70年代後半からクリスチャン・レーベル:Maranatha Musicのエンジニア/プロデューサーとして活躍した。当時ブラウンが関わった作品には、スウィート・コンフォート・バンド、ペトラ、後にラリー・カールトン夫人となるミシェル・ピラーとCCMのパイオニア的シンガー・ソングライラー:エリック・ネルソンの共演作の他、かのブルース・ヒバードのアルバムもある。そのブラウンが自身の制作チームに大学卒業間もないパティトゥッチを加え、“ゴスペル界のクインシー・ジョーンズ”と謳われた故アンドレ・クラウチのサポートを務めたコイノニアの面々:ハドリー・ホッケンスミス(g)やハーラン・ロジャース(kyd)、同じくアンドレの元で歌っていたトミー・ファンダーバーク(エアプレイ)らと仕事をさせるようになった。そのひとつがロビー・デュークだったワケである。

タマラックはシーウインドと違ってホーン不在だが、代わりに爽快なヴォーカル・ハーモニーという武器があった。女性2人+男性1人と、ソロで歌えるメンバーが3人いたのだ。そのヴォーカル・チームを、凝ったバンド・アンサンブルが支えるのが基本フォーマット。もちろんバックの演奏陣をリードするのは、ブイブイ唸りを上げるパティトゥッチのベースだ。曲によってはメロディアスなフレーズでヴォーカルに絡み、時にはソロを取ったりも。歌モノのバンド・サウンドとはいえ、エレキ・ベースを弾くパティトゥッチは既に完成したスタイルを持っている。またロック色濃厚なギターの存在も大きく、今更ながらに豊かな可能性を秘めたグループだったと思える。

タマラックがいつ頃までバンドとして機能していたかは不明だが、やはりパティトゥッチの引き抜きで活動を止めた模様。その後女性ヴォーカル陣は、シュプール&マクニールというデュオ名義で知られざる良盤『A TASTE OF ETERNITY』(84年)を発表していて、そこに元タマラックの主要メンバーが集結している。その元メンバーたちもCCMシーンのアチコチで活動を続け、タマラックを起点にキャリアを築いていた。

マニアックだけど、メンバー的にちょっと侮れない。それがタマラック。カナザワ監修 Light Mellow's Choice での登場ながら、元が韓国プレスのCDなので、あるうちに買うときや〜。