音楽ファンにはお馴染みのジャズ・レーベル、ブルーノート。その80年の歴史を追ったドキュメンタリー映画『BLUE NOTE RECORDS - BEYOND THE NOTES(ブルーノート・レコード 〜 ジャズを超えて)』を、渋谷東急文化村 ル・シネマで観た。ちょうど割引がある曜日とあって、お勤め帰りの音楽ファンでかなり盛況。ただし観た印象としては、ある程度ブルーノートに対する予備知識がないと、内容を理解するのは難しいかも、という感想を持った。
映画は、ロバート・グラスパーが率いる若ブルーノート・オールスターズのレコーディング・セッションの模様から始まる。まさに現在進行形のフューチャー・ジャズ。そこへ2人のレジェンド、ハービー・ハンコックとウェイン・ショーターが現れる、という筋書きだ。そして劇中ではそのメンバーたちや大ベテランのルー・ドナルドソン、ノラ・ジョーンズ、ケンドリック・ラマー、そして現社長ドン・ウォズらの証言を中心に、レーベルの現在と過去を交錯させながら進んでいく。
創始者であるアルフレッド・ライオンが、ナチス統治下のドイツから米国へ移住した移民なのは知っていたが、本格的スタートのパートナーとなった写真家フランシス・ウルフもまたドイツ出身の同胞だったとは。しかもライオンとウルフなんて、よく考えたら出来過ぎでしょ? 後から加わったエンジニア、ルディ・ヴァン・ゲルダーの貢献もかなり大きい。
バド・パウエル、セロニアス・モンク、アート・ブレイキー、ホレス・シルヴァー、ジョン・コルトレーン、キャノンボール・アダレイ&マイルス・デイヴィス、リー・モーガン、ジョー・ヘンダーソン、マッコイ・タイナー、そしてハンコックにウェイン・ショーター。50〜60年代のブルーノートは、大物ばかりがズラリ並んで壮観なことこの上ナシ。だけれど、ビバップやモダン・ジャズ期のブルーノートには、個人的にはあまり積極的興味はない。俄然面白くなるのは、ソウル・ジャズ志向が強まってくる BN-LA期だ。もっともこの時期は、映画では比較的アッサリと流されていた気がする。レーベルとしての歴史を俯瞰すれば、メジャーのリバティに身売りし、創始者ライオンが退いた(71年に他界)苦難の時代だったからだろう。
79年に新録を停止していたブルーノートが再興したのは、80年代半ば。ブルース・ランドヴァルとマイケル・カスクーナの手腕があってこその再スタートだ。ノラ・ジョーンズのデビューが02年。グラスパーは04年に入社している。日本でも絶大な支持を集めるブルーノートだけど、我が国のオールド・ジャズ・ファンは、石頭と言って良いほどコンサヴァティヴだから、こうした指向性には不寛容な人が少なくないのではないか。
でも自分がこの映画で再認識したのは、ブルーノートもまた、移民文化と人種の超越を体現していたということ。最初は確かにジャズだったが、やがてクロスオーヴァー化し、ドン・ウォズのようなジャズ好きのロック出身者がレーベルを仕切るようになるのが必然的だった。ジャズは決して高尚なものではなく、元々はストリート発祥。フューチャー・ジャズ勢が取り入れているヒップホップもまた然り、である。
「ブルーノートのスタッフは、レーベルとか、ジャンルとか、レッテルとか、そういうものに関心がなかったんだと思う。自分たちはハードバップのレーベルだとか、そんな意識がなかったんだと思うんだ。ミュージシャン自身も自分たちの前になった音楽を吸収して、技術や知識を自分のものしつつも、自分自身の才能を使って、それらをいかに新しい場所へ持っていくかってことをやっていた、それがブルーノートの本質になっていったんだ。ミュージシャンたちがカテゴライズされることを拒んだからこそ、音楽を先に進めることができた。聴いたことがない音楽を聴きたい、聴いたことがない音楽を創りたいって思っていたから。それはとても尊いことで、それがジャズの伝統の核になった。そんな気高さこそがブルーノートの在り方なんだ」(ドン・ウォズ)
つまりジャズとは、音楽のジャンルやスタイルに在らず、新しい未来に立ち向かうスピリッツ。その象徴がブルーノート、というコトだろう。ドキュメンタリーの向こう側にそれが見えたなら、この映画は成功したと言えるな。
創始者であるアルフレッド・ライオンが、ナチス統治下のドイツから米国へ移住した移民なのは知っていたが、本格的スタートのパートナーとなった写真家フランシス・ウルフもまたドイツ出身の同胞だったとは。しかもライオンとウルフなんて、よく考えたら出来過ぎでしょ? 後から加わったエンジニア、ルディ・ヴァン・ゲルダーの貢献もかなり大きい。
バド・パウエル、セロニアス・モンク、アート・ブレイキー、ホレス・シルヴァー、ジョン・コルトレーン、キャノンボール・アダレイ&マイルス・デイヴィス、リー・モーガン、ジョー・ヘンダーソン、マッコイ・タイナー、そしてハンコックにウェイン・ショーター。50〜60年代のブルーノートは、大物ばかりがズラリ並んで壮観なことこの上ナシ。だけれど、ビバップやモダン・ジャズ期のブルーノートには、個人的にはあまり積極的興味はない。俄然面白くなるのは、ソウル・ジャズ志向が強まってくる BN-LA期だ。もっともこの時期は、映画では比較的アッサリと流されていた気がする。レーベルとしての歴史を俯瞰すれば、メジャーのリバティに身売りし、創始者ライオンが退いた(71年に他界)苦難の時代だったからだろう。
79年に新録を停止していたブルーノートが再興したのは、80年代半ば。ブルース・ランドヴァルとマイケル・カスクーナの手腕があってこその再スタートだ。ノラ・ジョーンズのデビューが02年。グラスパーは04年に入社している。日本でも絶大な支持を集めるブルーノートだけど、我が国のオールド・ジャズ・ファンは、石頭と言って良いほどコンサヴァティヴだから、こうした指向性には不寛容な人が少なくないのではないか。
でも自分がこの映画で再認識したのは、ブルーノートもまた、移民文化と人種の超越を体現していたということ。最初は確かにジャズだったが、やがてクロスオーヴァー化し、ドン・ウォズのようなジャズ好きのロック出身者がレーベルを仕切るようになるのが必然的だった。ジャズは決して高尚なものではなく、元々はストリート発祥。フューチャー・ジャズ勢が取り入れているヒップホップもまた然り、である。
「ブルーノートのスタッフは、レーベルとか、ジャンルとか、レッテルとか、そういうものに関心がなかったんだと思う。自分たちはハードバップのレーベルだとか、そんな意識がなかったんだと思うんだ。ミュージシャン自身も自分たちの前になった音楽を吸収して、技術や知識を自分のものしつつも、自分自身の才能を使って、それらをいかに新しい場所へ持っていくかってことをやっていた、それがブルーノートの本質になっていったんだ。ミュージシャンたちがカテゴライズされることを拒んだからこそ、音楽を先に進めることができた。聴いたことがない音楽を聴きたい、聴いたことがない音楽を創りたいって思っていたから。それはとても尊いことで、それがジャズの伝統の核になった。そんな気高さこそがブルーノートの在り方なんだ」(ドン・ウォズ)
つまりジャズとは、音楽のジャンルやスタイルに在らず、新しい未来に立ち向かうスピリッツ。その象徴がブルーノート、というコトだろう。ドキュメンタリーの向こう側にそれが見えたなら、この映画は成功したと言えるな。
ブルーノートの歴史をサラッとなぞった感じでした。
ウォズもハンコックもショーターも皆ショービズ一辺倒の業界に批判的で、ブルーノートは芸術だと言っていましたね。「ロケットマン」とも重なる部分もあって興味深い感じがしました。
自分は逆にジャズロック〜BN-LAから入って、ハードバップを聞き捲りすっかり嵌まったのです。年齢を重ねるのに伴ってプレステッジやリバーサイド等も好きになりました。今ではコルトレーンやドルフィーも好きです。金澤さんも聞き直してみては如何ですか?