
今日は一日T.K.三昧で書きモノ。T.K.といえばマイアミ・ソウルのメッカで、KC & ザ・サンシャイン・バンドとかベティ・ライト、ジョージ&グウェン・マクレーあたりが真っ先に思い出される。でもボビー・コールドウェルがこのT.K.グループからの本格デビューだったり、ナイトフライトを排出した地だったりもしているし、エリック・クラプトンが有名にした461 Ocean Boulvard にほど近いレコーディング・スタジオ:クライテリアは、ビー・ジーズやスティーヴン・スティルスなどが いっとき録音拠点にしていた。T.K.グループではラルフ・マクドナルドやジョン・トロペイ、フィル・アップチャーチら、ジャズ・フュージョン系を出していたこともある。だからAOR的なサウンドには親和性が高い。
そこで、傘下の Dashレーベルでアルバムを出していた、このフォクシー。イメージ的にはKC &ザ・サンシャイン・バンドの弟分的ポジションにいて、ラテン・ディスコのヒットを多く生んだグループという印象がある。実際T.K.に出入りしていたセッション・ミュージシャンがKC &ザ・サンシャイン・バンドとして多忙になっていく過程において、会社がその補填的にミュージシャンを拡充。ついでにKCたちを見習ってフォクシーを組ませた、というのがバンド誕生の経緯らしい。そしてKCたちがヒットを連発するようになり、フォクシーも同じ道を歩んでいった。
メンバーは、後にソロ作を出したり、OXOを組んだりするキューバ出身のメイン・ライター、ギタリスト兼シンガー:イッシュ・レディスマを中心に、ラテン・パーカッションの大御所ティト・プエンテの息子リッチー・プエンテ、スティルスやビー・ジーズにも重用されたドラムのジョー・ガルドなど6人。78年の2ndから R&Bチャート首位/全米トップ10入りの<Get Off>という大ヒットを出して、どんどんケーハクなディスコ・バンドと化していくが、この76年1st には、まだセッション・ミュージシャン集団としての矜持がよく表れている。同じように陽気な亜熱帯系ラテン・ファンクだし、各々スキルは高いので、どのアルバムにも破綻はないが、この1作目は無理にポップに作ってないというか、シッカリ演奏を聴かせる準インスト曲があったり、外部ミュージシャンのソロもフィーチャーされたりで、音作りに向かうマインドが伝わってくる。
改めて4枚あるスタジオ作の制作タイミングを見てみると、この1作目のあと少し長いブランクがあって、2〜4枚目は2年間に3枚と一気呵成。この1st が思ったほどのアクションを得られなかったから、そこで軌道修正したのかね? スタジオ最終作の4th『HOT NUMBER』にも、なかなか美味しいメロウ・チューンがあったけれど、少々アザとい後期作より、自分はこの1枚目にシンパシーを持つ。涼やかなストリングスが舞う<Let's Love>は、まさに良質マリン・グルーヴ。
メンバーは、後にソロ作を出したり、OXOを組んだりするキューバ出身のメイン・ライター、ギタリスト兼シンガー:イッシュ・レディスマを中心に、ラテン・パーカッションの大御所ティト・プエンテの息子リッチー・プエンテ、スティルスやビー・ジーズにも重用されたドラムのジョー・ガルドなど6人。78年の2ndから R&Bチャート首位/全米トップ10入りの<Get Off>という大ヒットを出して、どんどんケーハクなディスコ・バンドと化していくが、この76年1st には、まだセッション・ミュージシャン集団としての矜持がよく表れている。同じように陽気な亜熱帯系ラテン・ファンクだし、各々スキルは高いので、どのアルバムにも破綻はないが、この1作目は無理にポップに作ってないというか、シッカリ演奏を聴かせる準インスト曲があったり、外部ミュージシャンのソロもフィーチャーされたりで、音作りに向かうマインドが伝わってくる。
改めて4枚あるスタジオ作の制作タイミングを見てみると、この1作目のあと少し長いブランクがあって、2〜4枚目は2年間に3枚と一気呵成。この1st が思ったほどのアクションを得られなかったから、そこで軌道修正したのかね? スタジオ最終作の4th『HOT NUMBER』にも、なかなか美味しいメロウ・チューンがあったけれど、少々アザとい後期作より、自分はこの1枚目にシンパシーを持つ。涼やかなストリングスが舞う<Let's Love>は、まさに良質マリン・グルーヴ。