tal wilkenfeld

最近SNSを見ていると、やたらと楽器が上手いガキんちょたちに頻繁に出会う。大抵はローティーン、もしくはそれ以下だったりして、ただただ驚くのだけれど、本人たちも嬉々としてプレイしていて、思わずニッコリ。でもそれを大人たちが寄って集って「スゴイスゴイ」と褒め称えているのを見るにつけ、ちょっと違和感を感じてしまう。イヤ、決して悪いことではないし、よく頑張った!、とは思うんだけど…。

つまりそれって、どんなに大人顔負けのテクニックでも、所詮「駆けっこで一等賞取りました」と大して変わらないレヴェル、だと思ってしまうのだ。だって音楽のゴールは、そこじゃないでしょ? 一番重要なのは、何を伝えるか、何を表現するのか?ってコト。幼くして高度なスキルを身につけたのは賞賛に値するけど、それは表現ツールのひとつを人一倍早く手に入れた、ってだけのコト。ヴィンテージな楽器を手に入れました、というのと変わらない。だったの一芸しか持っていなくたって、とことん個性的であれば成立する世界なのだ、音楽とか芸術は。だから重要なのは、そこから先。…って、同じようなコトを、最近どこかに書いた気もするのだけれど…

そこでふと思い出したのが、このタル・ウィルケンフェルドの2ndアルバム。リリースは、ちょうど去年の今頃だったかな。

タル・ウィルケンフェルドといえば、ジェフ・ベックが自分のバンドにレギュラー起用したベーシスト。20歳そこそこの美人にして、めちゃグルーヴィーかつスキルフルなミュージシャンとして一気に注目を浴び、チック・コリアやハービー・ハンコックとも共演した。売れ出す前の07年に初めてのソロ・アルバム『TRANSFORMATION』を自主制作で出していて、それは09年に日本でも発売されている。ただ、若い女性ベーシストのアルバムとして聴けば楽しめるけれど、音楽的は、まぁよくありがちなフュージョン作品で、それ以上のモノではなかったような…。

その後、大物たちとの共演を挟んでの、12年ぶり2作目。このアルバムで彼女は豹変した。ジャズ・フュージョン系の若くてカワイイ女性ベーシストから、立派な女性アーティストへと成長したのだ。メイン楽器はベースだけど、基本はシンガー・ソングライターで、ギターも弾いている。プロデュースはタル本人と、オアシスやブラック・クロウズらを手掛けたポール・ステイシー。参加ミュージシャンには、マイケル・ランドウやトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのベンモント・テンチ (kyd)、アラバマ・シェイクスのブレイク・ミルズ (g)、そしてポール・ステイシーの双子の弟で現キング・クリムゾンのジェレミー・ステイシー (ds) らが名を連ねている。天才的ベース・プレイヤーが斬新なアーティストへと脱皮する瞬間をパッケージした作品だったのだ。エグゼクティヴ・プロデューサーがジャクソン・ブラウンだと知って驚いたけれど、きっと彼はタルの将来性を買ったのだろう。

でもそのアルバムが賛否を巻き起こし、あまり成功せずに終わった印象がある。彼女の成長を喜ぶ人がたくさんいた一方で、従来のロック・フュージョン路線から飛び出すことを認めないファンも少なからずいたのだ。ミュージシャンとして成長するのはイイけれど、アカデミックなシフト・チェンジなら認めない、そういう要らんところでコンサヴァティヴな音楽ファンって実は多い。それは好みというより、アーティストに芽生えたクリティヴィティについていけてないだけ。アーティストにしてみれば、ありがた迷惑なファンたちなのである。

だから、ローティーンのうちに高度なスキルを身につけた子供たちも、そこから先、ミュージシャンとしてどう成長していくかは話の次元が違うってコト。自分らしい表現を見つけられればステキな未来が開けていく可能性が高まるが、発見がなければ早々に音楽に飽きて、他の道へ進んでしまうかもしれない。楽器を続けても自己表現ができなければ、上手いだけの演奏家になるか、楽器の先生になるしか道はない。天才的ガキんちょプレイヤーを悪戯に褒め上げ、テクニック至上主義に陥らせてしまうことだけは避けたいものであるな。