

また訃報。タワー・オブ・パワーの全盛期を支えたギタリスト:ブルース・コンテが、現在の住まいであるフィリピンのセブ島で8日に死去した。12年に白血病であることが判明し、それを公表して治療資金を公募しながら闘病生活を送っていた。
コンテはカリフォルニア州サンガー生まれでフレズノ育ち。69年にサンフランシスコのベイエリアに移り、ローディング・ゾーンなるバンドに参加。その頃、タワー・オブ・パワー(以下TOP)創設者のエミリオ・カスティーヨやステファン・ドック・クプカと親しくなった。エミリオは72年、TOP3作目の制作開始を前に、メンバー・チェンジを敢行。ローディング・ゾーンからコンテとレニー・ピケットを引き抜き、更にレニー・ウィリアムスをシンガーに立てて、TOP全盛期を築いている。
ギター弾きとしては、アルバート・キング、グラント・グリーン、ジョージ・ベンソンにジミー・ノーレン(ジェイムス・ブラウン・バンド)らの影響が強く、ブルース、R&Bにジャズの要素を混ぜたスタイルがベース。TOPには79年まで在籍し、それ以後はシスコやL.A.ローカルな活動を展開。アル・マッケイ・オールスターズに参加したり、インディ・レーベルで3枚ほど自分のソロ作を作った。06年には期間限定でTOPに復帰。ツアーに参加したが、今となってはそれが最後の最後の花道になってしまった。
決して派手なプレイはしないが、ファンク・ギターのリズム・マスターとして評価は高く、それは、かのアル・マッケイからサポートを頼まれたコトからも伝わってくる。今頃、先に逝ったロッコと再会セッションでも演っているかな?
Rest in Peace...
ギター弾きとしては、アルバート・キング、グラント・グリーン、ジョージ・ベンソンにジミー・ノーレン(ジェイムス・ブラウン・バンド)らの影響が強く、ブルース、R&Bにジャズの要素を混ぜたスタイルがベース。TOPには79年まで在籍し、それ以後はシスコやL.A.ローカルな活動を展開。アル・マッケイ・オールスターズに参加したり、インディ・レーベルで3枚ほど自分のソロ作を作った。06年には期間限定でTOPに復帰。ツアーに参加したが、今となってはそれが最後の最後の花道になってしまった。
決して派手なプレイはしないが、ファンク・ギターのリズム・マスターとして評価は高く、それは、かのアル・マッケイからサポートを頼まれたコトからも伝わってくる。今頃、先に逝ったロッコと再会セッションでも演っているかな?
Rest in Peace...