引き続きユニバーサル・ミュージック【初CD化&入手困難盤復活!! 〜ブラジルが生んだ秘蔵の名盤〈'50s~'00s〉】から、今回のシリーズに1枚だけピックアップされたトッキーニョのソロ・アルバムから、86年の『心もよう(Coisas Do Coracao)』を。
現在のブラジル音楽好きというのは、早くからUS拠点でワールドワイドに活躍したセルジオ・メンデスを別にすれば、既にご紹介したイヴァン・リンス、マルコス・ヴァーリやカエターノ・ヴェローゾ、ミルトン・ナシメント、それにジョアン・ジルベルトやアントニオ・カルロス・ジョビンあたりでブラジルものに出会った人が多いんじゃないかと思う。かくいう自分も、セル・メンの次は、CTIでアルバムが出ていたジョビンだったと思うが、80年代後半によく聴いていたのは実はこの人、トッキーニョだ。
イタリア系移民の血を引く彼は、デビューが66年。最初はギタリストとして、インストゥルメンタルの作品を作っていたそうだ。69年にジョルジ・ベンと共作した曲が大ヒットしたのを機に、弾き語りのスタイルにシフト。ジョビン、ジョアンと共にボサノヴァの創始者とされるヴィニシウス・ジ・モラエスに接近して、多くのコラボ作品を残した(今シリーズでも1枚セレクト)。ヴィニシウスが亡くなった80年以降は、積極的なソロ活動を展開している。
そんなトッキーニョを日本へ大々的に紹介したのは、かの渡辺貞夫さんだ。ナベサダがブラジル音楽信奉者なのはつとに有名だったが、中でもトッキーニョの大ファンで。そこで86年に、当時主宰していた定例ライヴ・イベントにトッキーニョを招聘。その共演ライヴの模様を『VAMOS JUNTOS - Toquinho Live At Bravas Club '86』として日本限定でアルバム化し、映像はNHKで放映した。それを境にトッキーニョの当時のアルバムが日本発売されたり、ナベサダのブラジル録音作『ELIS』にゲスト参加したり、共演盤『Made In Coracao(メイド・イン・コラソン)』を作ったり…。そうした流れがあったため、この時期のトッキーニョには親しみがある。
基本的にシンガー・ソングライター・スタイルで、クラブ世代が喜ぶような音ではないけれど、ブラジルの政情が民主化に移行してからの作品なので、ピースフルでカンファタブルな楽曲ばかり。そこがAOR的に楽しめる。<あなただけを(E Simples Te Querer)>は、ナベサダ楽曲にトッキーニョがポルトガル語の歌詞を乗せて歌ったもの。これが一番シックリくるというのは、やはり日本人の血なのかな? アルト・サックスが如何にも貞夫さんっぽいが、これはブラジルのベテラン奏者ボラォン。
世の中はいろいろ騒々しいけど、家でこういう音を流していれば、すっかり和めてしまいます。
イタリア系移民の血を引く彼は、デビューが66年。最初はギタリストとして、インストゥルメンタルの作品を作っていたそうだ。69年にジョルジ・ベンと共作した曲が大ヒットしたのを機に、弾き語りのスタイルにシフト。ジョビン、ジョアンと共にボサノヴァの創始者とされるヴィニシウス・ジ・モラエスに接近して、多くのコラボ作品を残した(今シリーズでも1枚セレクト)。ヴィニシウスが亡くなった80年以降は、積極的なソロ活動を展開している。
そんなトッキーニョを日本へ大々的に紹介したのは、かの渡辺貞夫さんだ。ナベサダがブラジル音楽信奉者なのはつとに有名だったが、中でもトッキーニョの大ファンで。そこで86年に、当時主宰していた定例ライヴ・イベントにトッキーニョを招聘。その共演ライヴの模様を『VAMOS JUNTOS - Toquinho Live At Bravas Club '86』として日本限定でアルバム化し、映像はNHKで放映した。それを境にトッキーニョの当時のアルバムが日本発売されたり、ナベサダのブラジル録音作『ELIS』にゲスト参加したり、共演盤『Made In Coracao(メイド・イン・コラソン)』を作ったり…。そうした流れがあったため、この時期のトッキーニョには親しみがある。
基本的にシンガー・ソングライター・スタイルで、クラブ世代が喜ぶような音ではないけれど、ブラジルの政情が民主化に移行してからの作品なので、ピースフルでカンファタブルな楽曲ばかり。そこがAOR的に楽しめる。<あなただけを(E Simples Te Querer)>は、ナベサダ楽曲にトッキーニョがポルトガル語の歌詞を乗せて歌ったもの。これが一番シックリくるというのは、やはり日本人の血なのかな? アルト・サックスが如何にも貞夫さんっぽいが、これはブラジルのベテラン奏者ボラォン。
世の中はいろいろ騒々しいけど、家でこういう音を流していれば、すっかり和めてしまいます。
そのシンプルな作風と朴訥な歌声に
貞夫さんは惚れ込んで、録音したテープを
ツアーに持って行き、折々に聴いたといいます。
当時の貞夫さんの曲にも、影響が見られます。
同時代のMPB程コンテンポラリーな編曲でもなし
けれど古くさくもない。ボサノバにもそれほど寄らず
確かにシンガーソングライターの様な演奏です。
念願叶って、ライブのイベントに招いた
貞夫さんの嬉しそうな様子は
ライブ盤「Vamos Juntos」で聴けます。
使ってたエレアコギターはチェットアトキンス型でした。
その後はRioで一緒にレコーディングなさいます。
貞夫さんの曲にトッキーニョがポル語詞をつけ
理想的なMPBソングになりました。
けれどそのレコーディング時には
休憩ごとに違う彼女に電話する
マメな色男ぶりも目撃されたそうです。