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2日続けての訃報。レゲエ・シーンを代表するリズム・セクションであると同時に、ジャンルを超越するサウンド・クリエイター・チームとして活躍したスライ&ロビー。その片割れでベース・プレイヤーのロビー・シェイクスピアが、8日、米国フロリダの病院で亡くなった。以前から腎臓を患っていて、手術を受けていたとのこと。享年68歳。

ロビーことロバート・シェイクスピアは、1953年、ジャマイカのキングストン生まれ。セッション・ミュージシャンとして活動を始めて、ジミー・クリフやピーター・トッシュ、バニー・ウェイラー、バーニング・スピアなどのレコーディングに参加。70年代半ばに知り合ったローウェル・“スライ”・ダンバーと意気投合してリズム・コンビを組み、タクシー・プロダクションを興している。79年からはスライ&ロビー名義で自分たちのアルバムを作り始め、前後してアイランド・レコードの創設者クリス・ブラックウェルと手を組み、彼がバハマの首都ナッソーに建設したコンパス・ポイント・スタジオを牙城とするようになった。そしてプロデューサー/サウンド・クリエイター・チームとしてブラック・ウフルやグレゴリー・アイザックらを手掛け、更にはレゲエの枠を飛び越えた活動を展開していく。中でもグレイス・ジョーンズの81年作『NIGHTCLUBBING』は、世界的に注目を浴びた。

それまでレゲエといえば、積極的に聴いていたのはボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズくらい。あとはサード・ワールドとかジミー・クリフ、UKのスティール・パルスあたりを聴きかじってた程度のカナザワだったが、82年にグウェン・ガスリーの1st『GWEN GUTHRIE』に出会い、レゲエとR&B/ファンクの新しき邂逅に衝撃を受けた。そのリズム隊がスライ&ロビーで。それを知ったらグレイス・ジョーンズへの接し方も変わって、ブラック・ウフルへと広がっていく。そうこうするうちスライ&ロビーの評判も高まってきて、ボブ・ディランやジョー・コッカー、カーリー・サイモンらとコラボ。渡辺香津美『MOBO』(84年)を聴き、またまたスライ&ロビーへの興味が深くなった。彼らとマーカス・ミラー&オマー・ハキムのダブル・リズム・セクションの上を香津美が縦横無尽に駆け回る自由度の高いジャム・スタイルは、彼が新しいステージへ踏み出したことを表現していた。

それから間もなくスライ&ロビーはマテリアルのビル・ラズウェルに声を掛けられ、ミック・ジャガーの初ソロ『SHE'S THE BOSS』に参加。その流れで、ラズウェルのプロデュースによりアイランドから出されたのが、上掲『LANGUAGE BARRIER』『RHYTHM KILLERS』の2枚だった。前者に参加したのが、ディランにハービー・ハンコック、マヌ・ディバンゴ、アフリカン・バンバータ、バーニー・ウォーレル、ウォリー・バダルー、バーナード・フォウラー等など。後者にはブーツィー・コリンズ、シャインヘッドの名もあった。どちらも実験色が強く、大ヒットには繋がらなかったが、後者は英国やヨーロッパで好評を獲得し、『RHYTHM KILLERS』はUKアルバム・チャート35位まで上昇している。コンビとしてはその後もずーっと活動を続け、19年作『THE FINAL BATTLE』はグラミー賞最優秀レゲエ・アルバムにノミネートされた。

ジャマイカの首相アンドリュー・ホルネスのコメント。
「レゲエのベース・プレイヤーでは、ロビー・シェイクスピアほど大きな影響を与えた人はいないだろう。彼が残した優れた業績は、音楽業界とジャマイカ文化の中に刻まれる」

Rest in Peace...

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