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訃報が遂にAOR周辺にも。今朝起き抜けに飛び込んできたのは、デヴィッド・ラズリーが9日朝に逝去、の報。今年2月頃だったか、盟友であるアーノルド・マッカラーがラズリーのためのドネイションを募っていて。「デヴィッド・ラズリーが重病で足を切断し、医療施設に入ってリハビリを重ねている。家へ帰るには、車椅子でも過ごせるようにバリアフリーに改築する必要がある」と書いていた。それがこの訃報とどう関係するのか、現時点では不明。しかしながら最近は病状も安定していて、今回は突然死だった、という説もある。享年74歳。

日本ではAORシンガーのイメージが強く、82年に発表した最初のソロ作『MISSIN' TWENTY GROUND(風のファルセット)』で知られるラズリー。でも欧米ではソングライター、もしくはセッション・シンガーという肩書きの方がお馴染み。ボズ・スキャッグス<Jojo>、ヴァレリー・カーター/クリスタル・ゲイル<The Blue Side>、リタ・クーリッジ<Love Me Again>、チャカ・カーン<Roll Me Through The Rushes>、マキシン・ナイチンゲール<Lead Me On>、キキ・ディー<Safe Harbour>、ピーター・アレン<I Don't Go Shopping>、ディオンヌ・ワーウィック/ピーター・アレン<Somebody's Angel>、竹内まりや<Sweetest Music>、ノーマン・コナーズ/アニタ・ベイカー<You Bring Me Joy>に、ポインター・シスターズが歌ってラズリー本人もソロ作に入れた<Got To Find Love>等など、名曲・ヒット曲が数珠繋ぎとなる。

一方シンガーとしては、もう少し早く70年代中盤からスタジオで歌うように。女性みたいなファルセット・ヴォイスが特徴で、先のアーノルド・マッカラー、そして無名時代のルーサー・ヴァンドロスとチームを組み、3人セットでニューヨークのスタジオ・シーンで活動した時期もある。とりわけジェイムス・テイラーに気に入られ、レコーディングはもちろんツアー・メンバーとしても活躍。その後はベット・ミドラーやボニー・レイットとも共演している。

デトロイト近くの出身ということで、大のソウル好き。若い頃はモータウン勢やエタ・ジェイムスの前歌を歌って黒人客からも受け入れられていたとか。10代半ばから女友達とヴォーカル・トリオを組み、60年代末はロック・ミュージカル『HAIR』のツアー・キャストに加わった。その後ニューヨークに落ち着き、70年代半ばにヴォーカル・クインテット結成。その時の仲間がアーノルド・マッカラーと、ベット・ミドラーの女性コーラス隊ハーレッツに参加したウラ・ヘドウィグ。ラズリーは残った女性2人とロージーを名乗り、デビューへと到るのである。

英Expasionやクールサウンドからのデモ集や未発表曲集が半ば乱発気味に出ているが、オリジナル・ソロ・アルバムは前述『MISSIN' TWENTY GROUND』と84年の『RAINDANCE』、89年『SOLDIERS ON THE MOON』の3枚だけ。中でもドン・ウォズがプロデュースしている『RAINDANCE』は今も未CD化のままで、何曲かが『MISSIN' TWENTY GROUND』のCD化の際にボーナス収録されたり、デモ・ヴァージョンが後に編集盤に収められたに止まっている。紙ジャケのデモ作復刻なんかより、他に優先して動くべきコトがあったはずと、今更ながらに思ってしまうな。

ラズリー自身のソロ・ライヴなんてロクになかっただろうから、ジェイムス・テイラーのバックで、ヴァレリー・カーターと一緒に歌う姿、一度ナマで観てみたかった…。

Rest in Peace...