morizono_bad anima

昨年の結成50周年を軸にして、各種アーカイブ・プロジェクトが進んでいる四人囃子。その締め括りとして、来月頭に傑作2nd『GOLDEN PICNICS』(76年)の拡大版2枚組が出ることになっている。それに併せて、某音専誌向けに当時の最重要メンバーである森園勝敏・岡井大二両氏にインタビューしたのが、今月中旬。そのリリース内容は、また発売日近くなったら書くコトにするが、森園さんの話、特に音楽観・ジャンル観のエピソードがとても興味深く、脱稿した時点で、記事に盛り込めなかったコトを備忘録的に書き留めておきたい。何というか、大変僭越ながら、自分のジャンル感覚ととても近いモノを感じてしまうのだ。

ご存知のように四人囃子は、日本のロック黎明期をリードしたプログレ・バンドとして名を馳せている。しかしメンバーたちはプログレ扱いされることを嫌い、岡井さんをして “前衛ポップ” と表現している。事実、公式デビュー作『一触即発』こそプログレという形容がシックリくるが、その後はアルバム毎に音楽性を変化させ、ポップ・ロックやテクノ系にも走った。高校時代の学生バンドが前身だから、音楽性より、まず人ありき。アレ演りたいコレ歌いたい、ではなく、今このメンバーで何ができるか、というのが、四人囃子の基本スタンスだった。

だから初期中心人物である森園さんの指向の変化は、バンドの音楽に直結した。60年代〜70年初頭のブリティッシュ・ロックに感化されていた彼が、『GOLDEN PICNIS』を制作する70年代中に頃は、すっかりアメリカン・ロックやジャズに夢中になっていたのだ。取材中に飛び出した欧米勢の名は、リトル・フィート、オールマン・ブラザーズ、グレイトフル・デッド、サンタナ、ボズ・スキャッグス、シカゴ、ロギンズ&メッシーナ、ウェザー・リポート、ビリー・コブハム、チック・コリア/リターン・トゥ・フォーエバー、マイルス・デイヴィス、ウェイン・ショーター、ザ・セクション、ダニー・クーチ(コーチマー)等など。こういうところにマイケル・オマーティアン『WHITE HORSE』を挙げちゃう人など、まったくお目にかかったコトがない。

もちろん規定通りにピンク・フロイドやジェスロ・タルあたりの名前は出てきたし、<一触即発>にオールマン<Whipping Post>の影響が滲んでいるのは、以前から指摘されているところである。でも『WISH YOU WERE HERE』にボブ・ディランの影を感じていた、なんて話は、きっと森園さんならではだろう。

『GOLDEN PICNICS』完成後の森園さんは、すぐに四人囃子を抜けてしまい、助っ人的にデビュー準備中だったプリズムに加入。2枚のアルバムに参加して、ソロに転じた。一般的にはクロスオーヴァー・フュージョンにカテゴライズされる時代だが、彼の感覚はロック・インスト。クロスオーヴァーはジャズ系の上手い人が演るモノという意識が強く、自分にはロックしかできない、というスタンスに立つ。そしてこの時期に、ダニー・クーチのいるアティチューズ、ベン・シドラン、ウェット・ウィリー、ウォーレン・ジヴォン、少し遅れてマーク=アーモンドあたりをカヴァーするのだ。上掲ソロ・デビュー盤『BAD ANIMA』(78年)に取り上げられたのは、ブライアン・オーガーにジェイムス・ヴィンセント(ex-Malo / Azteca)、そしてブッカー・T.&ザ・MGズ。この世代のギター弾きらしく元からブルース/R&B好きだから、ブッカーT.は、まぁ分かる。でもこの並びから見えてくるのは、ジャズでもロックでもファンクでもなく、それらがバランスよく混ざり合ったリアルなクロスオーヴァー・スタイル。普通この時期のフュージョン・ギタリストなら、ラリー・カールトンだ、リー・リトナーだ、アル・ディメオラだ、ってベクトルへ向かいそうだけど、そう単純じゃないトコロが面白い。カナザワがトニー・ウィリアムスの名を出したら、速攻で「あぁ、<Fred>がカッコ良かったね」なんて返ってくる(ニュー・ライフタイム時代にアラン・ホールズワースが提供した曲)。

こうした感覚は、カナザワが考えるフュージョンのあり方に近い。AORも定義が曖昧だけれど、曖昧だからこそ何でもアリじゃなくて、一本スジが通っていないとイケない。実際に耳へ入るサウンドや曲調が似ているかどうか、ではなく、そのバックボーンや在り方、目指すステージこそが重要。それがなければクソミソ一緒になる。

今回はインタビュー取材だったけど、いつか森園さんと、ジックリ音楽談義を交わしてみたい、心底そう思ってしまったな。