kimiko kasai_tokyo special

何故か偶然が重なって、笠井紀美子のコレを。77年に発売されたジャズ・シンガーの、日本語ポップス・アルバム。今で言ったら、ほぼほぼ完全にジャジー&グルーヴィーなシティ・ポップ作品だ。彼女には72年にムッシュこと、かまやつひろしのプロデュースで作った『アンブレラ』というアルバムがあって、細野晴臣や鈴木茂が偽名で参加したり、大野雄二、つのだ☆ひろ(当時は角田ヒロ)もいたり、なのだけれど、“日本ジャズ界のトップ・レディー ロックに挑戦!” なんて謳われたように、内容は結構ロック寄りで、濃厚なブルースを歌っていたりもする。でもコレはジャジーというか、もろにクロスオーヴァー・スタイル。バックは鈴木宏昌率いるザ・プレイヤーズの前身コルゲン・バンド。だから、マリーナ・ショウ『WHO IS THIS BITCH, ANYWAY?』をグッとオシャレに彩ったような感覚があるのだ。

収録曲も、ひと癖ふた癖ある曲ばかり。作詞は全曲、ZUZUこと安井かずみ(加藤和彦の奥様)だけれど、実は英語曲やインストに後から日本語詞を乗せたモノが多い。有名なのは、山下達郎が作曲した<Love Celebration>を基に作られ、シングルも切られた<バイブレーション>。元々<Love Celebration>は、細野晴臣プロデュースで制作されていたリンダ・キャリエールに提供した楽曲だったが、これが陽の目を見ずにお蔵入りしてしまったため、安井の日本語詞で笠井がリリース。追って達郎氏が自分の『GO AHEAD』に原詞で収めている。それと同じパターンなのが、矢野顕子が書いた<待ってて(Laid Back Mad Or Mellow)>。リンダのアルバムではその英題がタイトルだったが、アッコちゃん自身は<Two On The Stage>なるタイトルの別の日本語詞で、78年作『ト・キ・メ・キ』に収めている。

<やりかけの人生>は、今月8日に新型コロナによる肺炎で急逝したばかりのジャズ・ベーシスト:鈴木勲の(多分)書き下ろしで、彼自身がソリストとして参加。翌年mimiこと宮本典子が、やはり鈴木勲プロデュースによるデビュー・アルバム『PUSH』で英語曲<My Life>として歌っている(R.I.P.)。また<ヴェリー・スペシャル・モーメント>は、後にGRPレーベルで全米デビューするYutakaこと横倉裕の楽曲。印象的なトランペット・ソロは、かの日野皓正だ。この曲は面白いコトに、日米仏の共同制作で作られたディスコ・ユニット:ザ・ラヴ・マシーンがカヴァーしていて、そちらは編曲家として有名な船山基紀と当時ビクターでイースタン・ギャングなどのディスコ・プロジェクトを手掛けていたプロデューサー:ハッスル本多が絡んでいた。また横倉裕は、もう1曲<人はそれぞれ(Just Another Love Song)>を笠井に提供している。

アルバム・タイトル曲<Tokyo Special(Manhattan Special)>と<木もれ陽(Sequoia Forest)>は、共に森士郎の作曲。彼はニューヨークで活躍していたジャズ・ベース奏者:中村照夫&ザ・ライジング・サンのギタリストで、どちらも、ハービー・ハンコックがゲスト参加した彼らの77年作『SONG OF BIRDS』に入っているのがオリジナル(サブ・タイトルが原題)。また<Tokyo Special>にも再度ヒノテルが参加している。

他に筒美京平、そしてバックを務めたコルゲンこと鈴木宏昌も各1曲提供。とかくスタンダードに捉われがちだったジャズ・シンガーのパブリック・イメージを、超大胆に、でも同時にオシャレで艶っぽく、軽やかに打ち破っている。こういう当時の先端を行くようなジャジーなセンスの都市型ソウル・ポップ・アルバムをシティ・ポップの一片に置いてしまうと、ナイアガラはどうしてもオールディーズの焼き直しに思えてしまうな。もちろんあの仕掛けはスゴイと思うけど、そのスタイルが達郎氏との大きな違い。大滝さん自身、それを分かっていたから、あそこでスパッと身を引いたんじゃないのかな? そんな気がしてならないのだ。