和楽器の可能性を追求するフュージョン・バンドとして2019年に結成された“坐音〜Zaon”が、ようやくデビュー・アルバムを発売。そのリリース記念ライヴ@丸の内Cotton Club 2nd Showを観た。実はいろいろ繋がりのある安部潤さん(kyd)が仕掛け人なので、構想段階でチラリと話を聞かされ、音も先にファイルでもらって聴いていた。その上で、これはちゃんとフィジカルで持っていたい!、と思わせてくれる上質サウンド。そそくさとCDをゲットし、ライヴにも足を運んだ。
メンバーは安部さん以下、吉永真奈(箏)、田嶋謙一(尺八)、中園亜美(sax)、田中晋吾(b)、川口千里(ds)の6人。ステージは尺八のソロからスタートし、アルバム収録曲を中心に、和楽器の柔らかな音色と緻密なグルーヴ、ワクワクするようなアンサンブルで、しなやかに進んだ。
和楽器フュージョンというとフレッシュに感じられるけれど、必ずしも真新しいモノではなく、70年代後半の米国ではカリフォルニアの日系人が結成したヒロシマがあったし、GRPからデビューしたYUTAKA(横倉裕)、それにクラブ・シーンで注目された喜多嶋修などがいる。でも国内に目を向けると、純邦楽との融合という高い目標を設定する傾向が強く、和楽器のみならず日本音階まで取り込もうとする。だから結果として成熟せず、実験レヴェルで止まってしまっていた。60年代〜70年代初めの和ジャズが、まさにそう。でも和楽器特有の音色だけを抽出して、既成のクロスオーヴァー・スタイルに流し込めば、ユニークでとても美しいサウンドになり得る。西洋音楽を生業とする日本人ミュージシャンにとって、純邦楽は比較的身近な存在なだけに、丸ごと飲み込んで、と考えてしまうのかもしれない。
でもグローバルな目線を持てば、強引に取り込もうとするより、音色のユニークさにフォーカスした方が、何倍・何十倍も親しみやすいモノになる。クラシカル・クロスオーヴァーの台頭、吉田兄弟や上妻宏光に代表される津軽三味線とポップスの接近、東儀秀樹や鼓童などの頑張りで日本古来の伝統音楽/楽器に対する見方も大きく変化してきた昨今。それでも、ことフュージョン・サウンドに和楽器を取り込む動きは、最近ほとんど耳にすることはなかった。
そもそも今の和フュージョン・シーンは、ほとんど再生産に甘んじていて硬直化した印象。キャリア30〜40年の大御所バンドが、ここへきて軒並みフォーマット再構成に直面しているのも、そういう空気を反映した流れだろう。そこへ新しい風を流し込む可能性が、この坐音にはある。メンバーの演奏力だけでなく、個性的なアンサンブルから創出される独特のスリル。ソプラノ・サックスと尺八のユニゾンとか、ハープとは違った琴とピアノの掛け合いとか、琴線に触れるとはまさにこのコト。
アルバムには増崎孝司(g)や岩切響一(太鼓)がゲスト参加していたけれど、もっともっといろいろな組み合わせで和楽器の可能性を追求することができるだろう。そのファースト・ステップが確認できた、興味深いパフォーマンスだった。
和楽器フュージョンというとフレッシュに感じられるけれど、必ずしも真新しいモノではなく、70年代後半の米国ではカリフォルニアの日系人が結成したヒロシマがあったし、GRPからデビューしたYUTAKA(横倉裕)、それにクラブ・シーンで注目された喜多嶋修などがいる。でも国内に目を向けると、純邦楽との融合という高い目標を設定する傾向が強く、和楽器のみならず日本音階まで取り込もうとする。だから結果として成熟せず、実験レヴェルで止まってしまっていた。60年代〜70年代初めの和ジャズが、まさにそう。でも和楽器特有の音色だけを抽出して、既成のクロスオーヴァー・スタイルに流し込めば、ユニークでとても美しいサウンドになり得る。西洋音楽を生業とする日本人ミュージシャンにとって、純邦楽は比較的身近な存在なだけに、丸ごと飲み込んで、と考えてしまうのかもしれない。
でもグローバルな目線を持てば、強引に取り込もうとするより、音色のユニークさにフォーカスした方が、何倍・何十倍も親しみやすいモノになる。クラシカル・クロスオーヴァーの台頭、吉田兄弟や上妻宏光に代表される津軽三味線とポップスの接近、東儀秀樹や鼓童などの頑張りで日本古来の伝統音楽/楽器に対する見方も大きく変化してきた昨今。それでも、ことフュージョン・サウンドに和楽器を取り込む動きは、最近ほとんど耳にすることはなかった。
そもそも今の和フュージョン・シーンは、ほとんど再生産に甘んじていて硬直化した印象。キャリア30〜40年の大御所バンドが、ここへきて軒並みフォーマット再構成に直面しているのも、そういう空気を反映した流れだろう。そこへ新しい風を流し込む可能性が、この坐音にはある。メンバーの演奏力だけでなく、個性的なアンサンブルから創出される独特のスリル。ソプラノ・サックスと尺八のユニゾンとか、ハープとは違った琴とピアノの掛け合いとか、琴線に触れるとはまさにこのコト。
アルバムには増崎孝司(g)や岩切響一(太鼓)がゲスト参加していたけれど、もっともっといろいろな組み合わせで和楽器の可能性を追求することができるだろう。そのファースト・ステップが確認できた、興味深いパフォーマンスだった。
ただし、やっぱりこのジャンルの音楽は成熟しきってしまったのでしょうか、驚きはあまり感じませんでした。琴の音色がアクセントになって、やや目新しさがありますが、主旋律を担うのは難しい楽器です。サックスやギター、ピアノが前面に出ると昔のフュージョンと変わらなくなるし、尺八はフルートと音の感触が似ているので、Herbie MannやAlexander Zonjicを思い起こさせます。
クロスオーバー/フュージョン全盛期にこれを聴いたら「また一つ良い(でも似たような)バンドが出てきた」と思われてしまっていたかも。オリジナリティって難しいですね。
でも昔のフュージョンに琴と尺八を入れて見ましたで終わらずに、今後さらに琴の響きを生かした楽曲が創作されるのではと期待しています。