カンタベリーロックcaravan_for girlsgong_shamal

先月の発刊以来、自分のすぐ脇に置いて、仕事の合間にチラ見しながら音を聴いたりしていたカンタベリー・ロック本。今もそのパターンは続いているが、企画元の和久井光司さんはもう次の本に向かってらっしゃるので、その前に書いておこうと。それにしても和久井さん、その都度チームを組んで動いているとはいえ、1年に何冊の本を作っているのだ? こちとら1年以内に1冊出す予定が、1年半経ってもようやく先が見えてきたところだというのに…

で、自分も高卒〜大学入学初期の頃、AORに出会う前に一時ハマリかけたカンタベリー・ロック。10人のカンタベリー好きがいれば、10パターンの主義・主張があると言われるように、ファンそれぞれのスタンスや見方がある。主流は英国ジャズ・ロックからのファンだろうが、もっとプログレ寄りもいれば、アヴァンギャルドなフリー志向の人もいるし、サイケなアート・ロック派もいる。そもそもカンタベリーという呼称も、英国ケント州にある古い街の名前。そこから出てきたミュージシャンが多いので、そう呼ばれるようになった。近代は大聖堂を中心とした観光都市として知られる一方、大学の多い学生の街でもあり、文化的でインテリジェントな空気が流れる所らしい。そうした中で育まれた自由度の高い音楽、というのがカンタベリー・ロック。ある意味そうした出自は、AORとチョッピリ似ているかもしれない。

そういう立場に立って自分のカンタベリー観を書くと、やはりジャズ・ロック〜プログレ寄りになる。入り口はビル・ブルフォード『FEELS GOOD TO ME』やゴング『EPRESSO II』あたりで、もう最初からジャズ・ロック方向にズレている。そして少し遡って、ソフト・マシーン『収束(BUNDLES)』、ゴング『YOU』もそうなのか、と。元々キャメルの大ファンだったから、リチャード・シンクレアが加入したのを機にキャラヴァンも本気で聴くようになった、という経緯も。エッグとかハットフィールド&ザ・ノース、マッチング・モウル、スティーヴ・ヒレッジのいたカーンとかも好きだったな。それでも自分にとっては、ソフト・マシーンといえば初期2作でもフリー・ジャズ期でもなく、ハーヴェスト時代だし、ゴングといえばデヴィッド・アレン脱退後。スラップ・ハッピーは聴き込み不足で、未だによく分からん。スチュワート&ガスキンの突然変異ぶりも、当時は極めて謎だった。

…というワケで、カンタベリー本を眺めながら手が伸びるのは、やはりキャラヴァンやゴングだ。キャラヴァンの73年作『夜ごと太る女のために(FOR GIRLS WHO GROW PLUMP IN THE NIGHT)』は、従来のジャズ・ロックにオーケストラを導入してシンフォニックに挑戦したり、英国でも人気のあったカントリー・テイストを導入してみたりと、ハイブリット感が満載。リチャード・シンクレアは不在だけど、彼らの代表作のひとつにも数えられている。ゴング『SHAMAL』は76年作で、アレン脱退直後の作。突然のリーダー不在に見舞われたものの、契約に縛られて解散はできず、ピエール・ムーラン(ds)中心にクロスオーヴァー化に向かったのだ。でも居残りゲスト参加のスティーヴ・ヒレッジと、プロデュースを買って出たピンク・フロイドのニック・メイスンの手際があってか、なかなか良いアルバムに仕上がっている。

このカンタベリー・ロック本を作った和久井さんは、元来パンクに大きな影響を受けたミュージシャン。基本的に、当時のカンタベリー・アーティストの活動スタンスや目線の自由さを以って、カンタベリーを語られる。対してカナザワは、一定の演奏技術に裏打ちされた音楽性の自由度、ハイブリッド感覚でカンタベリーに惹かれている。実際には和久井さんとは面識などないし、音楽的には遠い存在なのだけど、共にジョージ・ハリスン好きだったり、妙に一致するところもあって、一方的にシンパシーを感じたりも。何より、あのペースで本を作り続けているのは本当にスゴイ。企画はいくつか頂けても、なかなか前に進められない自分は、それこそ真摯に見習わなくては。