
ユニバーサル・ミュージックのソウル系廉価再発シリーズ【Throwback Soul ソウル/ファン定番・裏名盤・入手困難盤 70年代~打ち込み前夜編】全48タイトルから、意外にも世界初CD化だったアイテムをもう1枚。デトロイトを代表するセルフ・コンテインド・グループである、ワン・ウェイの83年作『SHINE ON ME』。国内外でポツポツとCD化が進んでいたのだが、全盛期の作品の中で、どうもコレだけ取り残されてしまっていたみたい。
ソウル・パートナーズ〜アル・アドソン&ザ・ソウル・パートナーズ〜アル・アドソン&ザ・パートナーズ〜ワン・ウェイ feat.アル・ハドソン〜ワン・ウェイと、出世魚の如く名前を変えて黄金期を迎えた彼ら。80年末にはまたアル・ハドソン&ワン・ウェイと名前を変え、2019年に26年ぶりのアルバムを出した時は、またまたワン・ウェイ feat.アル・ハドソン となっていたが、マザ、あらかたの認識としては、アル・アドソン&ザ・ソウル・パートナーズ、ワン・ウェイ、その2つでコトは足りるだろう。
今回復刻された83年作『SHINE ON ME』は、ワン・ウェイという名前を掲げてからの7枚目。ソウル・パートナーズ時代の作品を含むと、通算11作目。ところが3作後のアルバムが『ONE WAY IX』だったりして、どういうカウントの方法が正しいかはよく分からないが、まぁイイでしょう。<Cutie Pie>のようなR&Bヒット(82年・R&B4位)が出なかったので、USチャートの成績は今イチ芳しくなかったアルバムだが、日本ではブラック・コンテンポラリーの看板下で都市型R&Bを聴くリスナーが急増していた時代。自分もこの『SHINE ON ME』や、<Lady You Are>のバラード・ヒットでR&Bアルバム首位に到達した『LADY』あたりは、盛んに聴きまくった。
解説のJAMさんが、「ワン・ウェイはファンク・バンドか、それともヴォーカル・グループか」と書かれているけど、彼らはその両方を、ちょうど良きバランスで併せ持っていたグループだったと思う。しかもオーセンティック・ソウルの持ち味と、コンテンポラリーなセンスをも内包していた。81年頃からバンドを仕切っていたADKこと、アル・ハドソン、デイヴ・ロバーソン、ケヴィン・マッコードの集団指導体制が、それを可能にしていたに違いない。かくして彼らは、多くのファンク・バンドが討ち死にしたシンセ・ファンクやプログラム導入期を、上手に乗り切っていったのである。
今回復刻された83年作『SHINE ON ME』は、ワン・ウェイという名前を掲げてからの7枚目。ソウル・パートナーズ時代の作品を含むと、通算11作目。ところが3作後のアルバムが『ONE WAY IX』だったりして、どういうカウントの方法が正しいかはよく分からないが、まぁイイでしょう。<Cutie Pie>のようなR&Bヒット(82年・R&B4位)が出なかったので、USチャートの成績は今イチ芳しくなかったアルバムだが、日本ではブラック・コンテンポラリーの看板下で都市型R&Bを聴くリスナーが急増していた時代。自分もこの『SHINE ON ME』や、<Lady You Are>のバラード・ヒットでR&Bアルバム首位に到達した『LADY』あたりは、盛んに聴きまくった。
解説のJAMさんが、「ワン・ウェイはファンク・バンドか、それともヴォーカル・グループか」と書かれているけど、彼らはその両方を、ちょうど良きバランスで併せ持っていたグループだったと思う。しかもオーセンティック・ソウルの持ち味と、コンテンポラリーなセンスをも内包していた。81年頃からバンドを仕切っていたADKこと、アル・ハドソン、デイヴ・ロバーソン、ケヴィン・マッコードの集団指導体制が、それを可能にしていたに違いない。かくして彼らは、多くのファンク・バンドが討ち死にしたシンセ・ファンクやプログラム導入期を、上手に乗り切っていったのである。
アナログ盤ならまだしも今やCDの収集など。
しかし歯抜けのコレクションが埋まるのはやはり嬉しいです。
レコード、CD、ダウンロード、ストリーミング、それぞれ好きなやり方で触れあっていけば良いと思いますが...。
レンタルレコード店が懐かしいダビング世代の戯言ですかね。