X'mas? 我が家は夕食にケーキとチキンが出ただけで、ほとんど通常営業。X'masらしいコトといえば、facebookで先に紹介したように、先日 産経新聞のWeb版から『クリスマスに聴きたいシティポップ』というテーマで取材を受けて、以下に記事が載っているが…。
『クリスマスに聴きたいシティポップ11選(前編)』〜山下達郎より切ない大失恋ソングも
『クリスマスに聴きたいシティポップ11選(後編)』〜愛の祈りはミポリンより情熱的に
で、本人はイブイブで、映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE with SOMEBODY』の公開初日レイトショウを鑑賞。以前のドキュメンタリー『ホイットニー I ALWAYS LOVE YOU』は暗い気持ちにさせられたけれど、これはコンパクトによくまとまっていて、彼女の魅力やプレッシャーと戦う日々をバラウンスよく見せていたな。早速「端折りすぎ」なんてボヤくコア・ファンもいたけれど、普通の音楽ファンにはこれくらいで充分。スピーディーな展開でキャリアを追いかけ、要所要所で歌唱力の凄まじさをシッカリ伝えている。
パーソナル・マネージャーや、デビュー前のジャーメイン・ジャクソンとの関係など、いくつか怪しい事実に触れた一方で、シングル曲の順番が微妙だったり、映画『BODYGUARD』で最初にフィーチャーしょうとしたのは<I Always Love You>ではなかったことがスルーされたりも。でもそれはストーリーの中にあってはホンの些細なこと。91年のスーパーボウルに出演して国歌<星条旗よ永遠なれ>を歌うハイライト・シーンでは、何着も用意された豪華ドレスを跳ね除け、自分らしくジャージ姿でマイクの前に立つ辺り、とても凛々しかったな。主演ナオミ・アッキーの熱演も見事なモノで、彼女が次第にホントのホイットニーに見えることさえも。
デジタル・リリースされたサントラ盤の、EDMみたいな代表曲のニュー・ヴァージョンがどう使われるのか、ちょっと心配していたが、実際はエンドロールのところで<Higher Love>が流れただけ。本編では使われていなくて安心した。育ての親的存在のクライヴ・デイヴィスは、チョッとカッコ良すぎたけれど、彼こそがこの映画のプロデューサーなのだから、これは仕方ないところか。クライヴにしてみれば、以前のドキュメンタリー映画で陰惨たる気持ちになったのだろう。そのリヴェンジである。
でも気になったのは、やっぱり人種差別の問題で…。「イイ歌を歌うには、ジャンルも人種も関係ない」と真っしぐらに突き進んできたホイットニーが、88年のソウルトレイン・ミュージック・アワード授賞式で、初めて露骨なブーイングに遭遇する。「黒人のソウルを白人に売った」というのだ。彼女は大人気をの一方で、一部のアフリカン・アメリカンから "ホワイティー(白人気取り)" と蔑まれた。そこから彼女の苦悩が始まり、それに反発するようにR&B色を濃くしていくことになった。最初は良き理解者だったボビー・ブラウンも、やがてはストレスの種に。世間ではボビーが彼女を貶めた、と言われてきたが、麻薬禍はそれ以前だったようで…。
先のビー・ジーズの映画も、ホイットニーも、やはり差別問題が転落のキッカケと共通している。ビー・ジーズの場合は、ファルセットの可能性を追求した彼らがディスコ・サウンドに辿り着いて『SATURDAY NIGHT FEVER』で大成功したものの、白人ロック・ファンからの "DISCO SUCKS(ディスコ・サックス)"運動の標的にされ、表立った活動ができなくなった。しかもその騒動の実情は、ディスコ・ミュージックというよりR&B全体に及んでおり、実質的には人種差別が背景にあったことが明らかになっている。ホイットニーであれ、ビー・ジーズであれ、Wanne Beと嘲笑されたマイケル・ジャクソンであれ、ジャンルと人種を超越して大成功したアーティストは、ほとんどが例外なくアゲインストに晒される。そこに異性や麻薬、金銭トラブルが絡み、彼らは命を削っていくことになった。
2012年2月の悲しい結末は、当然変えようもない。しかしこの映画では、それを掻き消すように、絶頂期のホイットニーのライヴ・パフォーマンスで締め括る。ツアー・バンドの音楽監督リッキー・マイナーがリハーサルで彼女に提案したものの、「絶対無理」と拒否られた超絶難易度のヴォーカル・アレンジが、実は実際に歌われていた。"The Voice"と形容されたその歌声の前には、やっぱりジャンルも人種も関係ない。そういう確信が持てる作品だ。
パーソナル・マネージャーや、デビュー前のジャーメイン・ジャクソンとの関係など、いくつか怪しい事実に触れた一方で、シングル曲の順番が微妙だったり、映画『BODYGUARD』で最初にフィーチャーしょうとしたのは<I Always Love You>ではなかったことがスルーされたりも。でもそれはストーリーの中にあってはホンの些細なこと。91年のスーパーボウルに出演して国歌<星条旗よ永遠なれ>を歌うハイライト・シーンでは、何着も用意された豪華ドレスを跳ね除け、自分らしくジャージ姿でマイクの前に立つ辺り、とても凛々しかったな。主演ナオミ・アッキーの熱演も見事なモノで、彼女が次第にホントのホイットニーに見えることさえも。
デジタル・リリースされたサントラ盤の、EDMみたいな代表曲のニュー・ヴァージョンがどう使われるのか、ちょっと心配していたが、実際はエンドロールのところで<Higher Love>が流れただけ。本編では使われていなくて安心した。育ての親的存在のクライヴ・デイヴィスは、チョッとカッコ良すぎたけれど、彼こそがこの映画のプロデューサーなのだから、これは仕方ないところか。クライヴにしてみれば、以前のドキュメンタリー映画で陰惨たる気持ちになったのだろう。そのリヴェンジである。
でも気になったのは、やっぱり人種差別の問題で…。「イイ歌を歌うには、ジャンルも人種も関係ない」と真っしぐらに突き進んできたホイットニーが、88年のソウルトレイン・ミュージック・アワード授賞式で、初めて露骨なブーイングに遭遇する。「黒人のソウルを白人に売った」というのだ。彼女は大人気をの一方で、一部のアフリカン・アメリカンから "ホワイティー(白人気取り)" と蔑まれた。そこから彼女の苦悩が始まり、それに反発するようにR&B色を濃くしていくことになった。最初は良き理解者だったボビー・ブラウンも、やがてはストレスの種に。世間ではボビーが彼女を貶めた、と言われてきたが、麻薬禍はそれ以前だったようで…。
先のビー・ジーズの映画も、ホイットニーも、やはり差別問題が転落のキッカケと共通している。ビー・ジーズの場合は、ファルセットの可能性を追求した彼らがディスコ・サウンドに辿り着いて『SATURDAY NIGHT FEVER』で大成功したものの、白人ロック・ファンからの "DISCO SUCKS(ディスコ・サックス)"運動の標的にされ、表立った活動ができなくなった。しかもその騒動の実情は、ディスコ・ミュージックというよりR&B全体に及んでおり、実質的には人種差別が背景にあったことが明らかになっている。ホイットニーであれ、ビー・ジーズであれ、Wanne Beと嘲笑されたマイケル・ジャクソンであれ、ジャンルと人種を超越して大成功したアーティストは、ほとんどが例外なくアゲインストに晒される。そこに異性や麻薬、金銭トラブルが絡み、彼らは命を削っていくことになった。
2012年2月の悲しい結末は、当然変えようもない。しかしこの映画では、それを掻き消すように、絶頂期のホイットニーのライヴ・パフォーマンスで締め括る。ツアー・バンドの音楽監督リッキー・マイナーがリハーサルで彼女に提案したものの、「絶対無理」と拒否られた超絶難易度のヴォーカル・アレンジが、実は実際に歌われていた。"The Voice"と形容されたその歌声の前には、やっぱりジャンルも人種も関係ない。そういう確信が持てる作品だ。
必ず人はこの世からいなくなるのだから、その素晴らしい才能を享受し、感謝こそすれどうして誹謗中傷したりするのかなと思ってしまいます。それが原因で傷つき命を削ってしまうことなんて悲しすぎる話です。Whitneyはほんとに残念だったと思います。