ボビー・コールドウェル逝去で、今日は自分のSNSも追悼コメント一色。そんな中、今日も早々に訃報が舞い込んだ。まぁ、現場を離れて既に40年近く。存在感などもう無いに等しいが、彼のプレイだけはいつでも何処でも耳にする。エリック・クラプトンのデレク&ザ・ドミノス、ジョージ・ハリスンのソロ作、トラフィック、そしてスティーリー・ダンのレコーディングでも活躍した名ドラマー、ジム・ゴードン。3月13日に医療刑務所で獄死。享年77歳。
ハル・ブレインの弟子だったゴードンは、ハイスクール卒業後からセッション・ワークを始め、エヴァリー・ブラザーズ、ビーチ・ボーイズ、ヴァン・ダイク・パークス、バーズ、アーロ・ガスリー、ランディ・ニューマン、キャロル・キングのザ・シティらをサポート。かのレッキング・クルーに名を連ねた。
69年になると、エリック・クラプトンも参加したデラニー&ボニーのバック・バンドに参加。しかしこのバンドは続かず、レオン・ラッセルが中心となったジョー・コッカーのマッド・ドッグス&イングリッシュメンに参加。ジム・ケルトナーとのツイン・ドラムを組んだ。そしてこの辺りで親しくなったデイヴ・メイスンやジョージ・ハリスンとのスタジオ・セッションを経て、クラプトンが結成したデレク&ザ・ドミノスの一員に。その後もジョン・レノン、ニルソン、トラフィック、ジョン・サイモン、ジャクソン・ブラウン、カーリー・サイモンなど、数々のアルバムに参加し、手数の多い軽快なスティック捌きを披露している。
かのジェフ・ポーカロには多くの憧れのドラマーがいたが、中でもよく口にしていたのが、“ダブル・ジム”ことジム・ケルトナーとこのジム・ゴードン。実はスティーリー・ダンの『PRITZEL LOGIC』では、ほとんどの曲をジム・ゴードンが叩いたそうで、正規メンバーだったジム・ホッダーは、1曲バック・コーラスを取っただけ。なのにジェフは<Parker's Band>のセッションに呼ばれ、堂々とゴードンとのダブル・ドラムをプレイした。その後ジェフは、ホッダーとのコンビでスティーリー・ダンのバンド期最後のツアーを消化し、次作『KATY LIED』ではほぼ全曲に参加。ゴードンが得意にするシャッフル・グルーヴの<Black Friday>では、当初イメージ通りに叩けず、プロデューサーのゲイリー・カッツに「オレじゃダメだ。ジム・ゴードンを呼べよ!」と悪態をついたらしい。でも気持ちが落ち着くと、あっさり最後まで叩き切ったというエピソードが残っている。
上掲ジミー・ゴードン名義の『HOG FAT』というアルバムは、彼が69年にフライング・ダッチマンから発表したワン&オンリーのリーダー・アルバム。トム・スコット/ジム・ホーン(sax)、ルイ・シェルトン(g)、ジェリー・シェフ(b)、マイク・メルヴォイン/ドン・ランディ(kyd)らが参加し、バッファロー・スプリングフィールド<Bluebird>、ボビー・ヘブ<Sunny>、ゲイリー・バートン<Walter L.>、ホレス・シルヴァー<The Preacher>、ローリング・ストーンズ<Satisfaction>など、ジャズとポップスのインスト・カヴァーを中心に演っている。コレ、実はあまり存在が知られていないかも。
しかしゴードンは、当時からクスリとアルコール漬けで好不調の波が激しく、80年代早々からマトモな演奏ができずに仕事が激減。更に精神を患って、アルコール中毒の治療を受けるようになる。が、その最中の83年、幻聴に誘われて実母を殺害。鑑定の結果、総合失調症と診断されたが、結局終身刑を言い渡されて収監。一度も保釈されることはなかった。彼が摂生していたら、80年代もイイ仕事をたくさん残していたんだろうな。
Rest in Peace...
69年になると、エリック・クラプトンも参加したデラニー&ボニーのバック・バンドに参加。しかしこのバンドは続かず、レオン・ラッセルが中心となったジョー・コッカーのマッド・ドッグス&イングリッシュメンに参加。ジム・ケルトナーとのツイン・ドラムを組んだ。そしてこの辺りで親しくなったデイヴ・メイスンやジョージ・ハリスンとのスタジオ・セッションを経て、クラプトンが結成したデレク&ザ・ドミノスの一員に。その後もジョン・レノン、ニルソン、トラフィック、ジョン・サイモン、ジャクソン・ブラウン、カーリー・サイモンなど、数々のアルバムに参加し、手数の多い軽快なスティック捌きを披露している。
かのジェフ・ポーカロには多くの憧れのドラマーがいたが、中でもよく口にしていたのが、“ダブル・ジム”ことジム・ケルトナーとこのジム・ゴードン。実はスティーリー・ダンの『PRITZEL LOGIC』では、ほとんどの曲をジム・ゴードンが叩いたそうで、正規メンバーだったジム・ホッダーは、1曲バック・コーラスを取っただけ。なのにジェフは<Parker's Band>のセッションに呼ばれ、堂々とゴードンとのダブル・ドラムをプレイした。その後ジェフは、ホッダーとのコンビでスティーリー・ダンのバンド期最後のツアーを消化し、次作『KATY LIED』ではほぼ全曲に参加。ゴードンが得意にするシャッフル・グルーヴの<Black Friday>では、当初イメージ通りに叩けず、プロデューサーのゲイリー・カッツに「オレじゃダメだ。ジム・ゴードンを呼べよ!」と悪態をついたらしい。でも気持ちが落ち着くと、あっさり最後まで叩き切ったというエピソードが残っている。
上掲ジミー・ゴードン名義の『HOG FAT』というアルバムは、彼が69年にフライング・ダッチマンから発表したワン&オンリーのリーダー・アルバム。トム・スコット/ジム・ホーン(sax)、ルイ・シェルトン(g)、ジェリー・シェフ(b)、マイク・メルヴォイン/ドン・ランディ(kyd)らが参加し、バッファロー・スプリングフィールド<Bluebird>、ボビー・ヘブ<Sunny>、ゲイリー・バートン<Walter L.>、ホレス・シルヴァー<The Preacher>、ローリング・ストーンズ<Satisfaction>など、ジャズとポップスのインスト・カヴァーを中心に演っている。コレ、実はあまり存在が知られていないかも。
しかしゴードンは、当時からクスリとアルコール漬けで好不調の波が激しく、80年代早々からマトモな演奏ができずに仕事が激減。更に精神を患って、アルコール中毒の治療を受けるようになる。が、その最中の83年、幻聴に誘われて実母を殺害。鑑定の結果、総合失調症と診断されたが、結局終身刑を言い渡されて収監。一度も保釈されることはなかった。彼が摂生していたら、80年代もイイ仕事をたくさん残していたんだろうな。
Rest in Peace...