世間一般盆休み。近畿地方は台風直撃で、大きな災害にならないコトを祈るばかりだが、自分は自分でシッカリとライナー書き。ようやくピークは越えたけれど、まだまだ月内の締め切りが続いている。いま書いているのは、9月に【Light Mellow Searches】から出すマット・ビーズリーというヴィブラフォン奏者の初めてのフル・アルバム。この人、クラシックの英才教育を受けながらジャズに転向し、ピアノもドラムも作編曲も全部こなしてしまう天才肌の人。なおかつポール・ウェラーと意気投合して、それ以降インコグニートやブラン・ニュー・ヘヴィーズ、ジャミロクワイあたりのレコーディングやツアー・サポートも行なっているというクロスオーヴァーな御仁である。それでいて本業は俳優で、“音楽は初恋” なんて言っちゃう。そして作ったアルバムは、バリバリのカッコ良いクロスオーヴァー・アルバム。…とは言え、紹介するにはまだ早いので、彼が敬愛しているというロイ・エアーズのアルバムを。
大きな影響を受けたヴィブラフォン奏者として挙げているのは、ロイのほかボビー・ハッチャーソン、マイク・マイニエリ、ゲイリー・バートンの4人。マックスから見たら、みんなそれぞれに違った魅力や資質を備えていて、異なるインフルエンスを与えられたという。
「ロイは僕の好きな多くのグルーヴをベースに音楽を創っている。<We Live In Brooklyn, Baby>は若い頃に聴き込んだ曲だよ」
1979年代初頭の生まれなので、現在アラ・フィフ。レア・グルーヴ世代真っ只中、という年代か。実際ロイ・エアーズも、おびただしい作品数をリリースした70年代を通過して、80年代はやや低迷。それが90年代に入って、クラブ・シーンから再評価が始まったアーティストだ。リーダー作は60年代から出しているけれど、怒涛のリリース・ラッシュが始まるのは、ユビクティを率いるようになった70年から。その中で制作されたのが、<We Live In Brooklyn, Baby>を含む『HE'S COMING』(73年)だった。ロイはヴァイヴをプレイしながら早くからヴォーカルにトライしてきた人だけれど、この後は自分のアーティスト活動と併行して、制作ワークやレーベル創設など、プロデューサー的ポジションにシフトしていく。
ロイ周辺やユビクティからは、エドウィン・バードソング (kyd)、ジェイムス・メイスン (g,kyd)、フスト・アルマリオ (sax)、ジミー・ハスリップ (b)、リッキー・ローソン (ds)、フィリップ・ウー (kyd) など、かなりの実力派ミュージシャンが巣立っていくことで知られる。この頃の参謀役は、鍵盤のハリー・ウィタカー。ダブル・ドラムの一方にはビリー・コブハムが参加し、ソニー・フォーチューンがサックスを吹く。でもロイ自身も含めて、バリバリと激しくプレイするんじゃなく、必要最低限の音数に感情表現、思いの丈を込めていく。そこにロイのセンスやインテリジェンスが滲むワケだ。それに比べると、昨今のフュージョンはハイ・スキルでハイ・エナジーだけど、その奥にある感情表現に乏しい。ここへきて、70年代クロスオーヴァー期のサウンドが持て囃される傾向が覗くのは、そうした欠落感が世代を越えて共有されつつあるからではないかな?
「ロイは僕の好きな多くのグルーヴをベースに音楽を創っている。<We Live In Brooklyn, Baby>は若い頃に聴き込んだ曲だよ」
1979年代初頭の生まれなので、現在アラ・フィフ。レア・グルーヴ世代真っ只中、という年代か。実際ロイ・エアーズも、おびただしい作品数をリリースした70年代を通過して、80年代はやや低迷。それが90年代に入って、クラブ・シーンから再評価が始まったアーティストだ。リーダー作は60年代から出しているけれど、怒涛のリリース・ラッシュが始まるのは、ユビクティを率いるようになった70年から。その中で制作されたのが、<We Live In Brooklyn, Baby>を含む『HE'S COMING』(73年)だった。ロイはヴァイヴをプレイしながら早くからヴォーカルにトライしてきた人だけれど、この後は自分のアーティスト活動と併行して、制作ワークやレーベル創設など、プロデューサー的ポジションにシフトしていく。
ロイ周辺やユビクティからは、エドウィン・バードソング (kyd)、ジェイムス・メイスン (g,kyd)、フスト・アルマリオ (sax)、ジミー・ハスリップ (b)、リッキー・ローソン (ds)、フィリップ・ウー (kyd) など、かなりの実力派ミュージシャンが巣立っていくことで知られる。この頃の参謀役は、鍵盤のハリー・ウィタカー。ダブル・ドラムの一方にはビリー・コブハムが参加し、ソニー・フォーチューンがサックスを吹く。でもロイ自身も含めて、バリバリと激しくプレイするんじゃなく、必要最低限の音数に感情表現、思いの丈を込めていく。そこにロイのセンスやインテリジェンスが滲むワケだ。それに比べると、昨今のフュージョンはハイ・スキルでハイ・エナジーだけど、その奥にある感情表現に乏しい。ここへきて、70年代クロスオーヴァー期のサウンドが持て囃される傾向が覗くのは、そうした欠落感が世代を越えて共有されつつあるからではないかな?