buster brown band

ダラスの地に眠っていた82年制作の未発表アルバムが、
40年の時を経て白日の下に。
リード・シンガーのケリー・マクナルティは、
80年代後半にエリック・タッグとバンドを組んでいたほか、
リー・リトナーやハーヴィー・メイソンと共演したり、
アイズレー・ブラザーズ、スモーキー・ロビンソンに楽曲提供。
もう一人のシンガー:ロジャー・バートンは、
知るひとぞ知るブルー・アイド・ソウルの至宝ビーズ・ニーズの出身。
そしてドラマーは、デヴィッド・リー・ロスやスティーヴ・ルカサー、
リンゴ・スターらとの共演歴を持つグレッグ・ビソネット。
世界中のAORファンに評判を呼んだ限定500枚のアナログ盤が、
いま待望の初CD化。


最も大きなキャリアのみ抜粋したが、コレは筆者監修【Light Mellow Searches】からの最新リリース。更に続けると、リード・シンガーのケリー・マクナルティは、リー・リトナーやエリック・タッグ 3rdソロのタイトル曲<Dreamwalkin'>の共作者。ハーヴィー・メイスンの82年作『STONE MASON』(祈・CD化)でも<What Goes Around>を共作し、リード・ヴォーカルを担当している。また故・松原正樹『PAINTED WOMAN』(83年)でエリック・タッグが歌っている<Silly Crush>も、彼とエリックの共作曲だ。

この未発表アルバムのほとんどは、82年に録音されたデモ・テープが元になっている。が、2ヴァージョン入っている<Baby Don't Lie>の一方だけが、77年のデモ。その77年トラックだけバンド・メンバーが異なり、ベースにヴィクター・“ワイドトラック”・ヒル、ドラムにジョージ・ローレンス、トランペット/ホーン・アレンジにスコット・ウォルターなど7人がクレジットされている。そのうちジョージ・ローレンスとスコット・ウォルターは、同時期にダラスで制作されたエリック・タッグ『RENDEZ-VOUS』に参加。更にジョージ・ローレンスはペイジスに加入し、79年作『FUTURE STREET』でプレイした。ベースのワイドトラックは、アラバマのファンク・バンド:7thワンダーに関わった後、ヤーブロウ&ピープルズのサポートに就き、トータル・エクスペリエンスのレーベル専属に。ヤーブロウ&ピープルズの83年作『HEARTBEAT』に、バスター・ブラウン・バンドの3人をキャスティングしたの、おそらくは彼の口入れだろう。89年にはアース・ウインド&ファイアー『HERITAGE』にも名を連ねている。この77年のデモは、デトロイトの大物プロデューサー:ドン・デイヴィスに認められ、彼のレーベル:Tortoise Internationalでデビューの準備が進められた。ところがスタジオ入り直前にレーベル自体が売却され、デビュー話は無残にも白紙に戻される。

この時、将来を悲観したメンバーの多くはバンドを離れたらしく、中核ジム・ケイシーとケリー、マネージャーが立て直しに奔走。同じダラスのバンド、ビーズ・ニーズのロジャー・バートンを獲得している。ビーズ・ニーズはレア・グルーヴ方面で評価されるようになったブルー・アイド・ソウル系の好バンドで、ハチミツ色をしたカラー・ヴァイナルの2nd『PURE HONEY』(79年)が人気。そこにはジム・ケイシーも参加していた。元々同じダラスが地盤で、共に地元クラブ:ポプシクル・トーズ(マイケル・フランクスの楽曲から命名されたと思われる)に出演する仲。ちょっとした付き合いがあったのだろう。その後グレッグ・ビソネットらが加わり、82年に再度デモが作られた。

「地元のスタジオで録音した。ギグの後に行って明け方まで。でも苦労した記憶はないな。ライヴで何度も演奏した曲ばかりだから、スタジオでそのまま録音できたんだ。当時のあらゆる音楽に影響を受けていたけど、特定のバンドやカテゴリーを目指していたワケではないよ。ただ、自分たちらしいサウンドにしたかっただけなんだ」(ロジャー・バートン)

82年のデモは、最初のモノよりもフュージョン色が濃くなり、アンサンブルも緻密。しかしその2度目のデモも成果が出ず、レコーディング契約は取れずじまい。結局バンドはそこで実質的解散状態に陥り、ロジャーは音楽界を去って、マクナルティはL.A.で作曲活動を始める。アイズレー・ブラザーズやスモーキー・ロビンソン、パティ・オースティンらに楽曲提供したのは、そのあとのコトだ。

そして2度目のデモから既に40年超。一時は再結成したバンドも今は存在せず、亡くなったり、病気療養中のメンバーも。それでも当時は世に出なかった奇跡のデモが、こうして陽の目を見たりするのだから、ブームの恩恵ってあるモノだな。