斬新かつ前衛的アプローチで高評価を得ていたジャズ・ピアニスト/作編曲家カーラ・ブレイ、生名ラヴェラ・メイ・ボルグが、17日、脳腫瘍の合併症によりニューヨーク州北部の自宅で亡くなった。ブレイ姓は、最初の夫であるジャズ・ピアニスト:ポール・ブレイから。フリー・ジャズ・ムーヴメントへの貢献が大きく、“フリー・ジャズの女王” とも称されたが、彼女の活動は本質的な意味でもっとフリー。ジャック・ブルースやニック・メイスン(ピンク・フロイド)との交流も深かった。享年87歳。
カーラの存在が知られたのは、2人目の夫:マイケル・マントラー(tr)と68年に設立した団体:JCOA (ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ・アソシエーション)がキッカケ。ジャズ・ミュージシャンを商業主義から保護し、応援する組織である。
作品的には、チャーリー・ヘイデンの70年作で作編曲/ピアノで参加した『LIBERATION MUSIC ORCHESTRA』、ポール・ヘインズとの共演作でジャズ・オペラ作品とされるJCOA発『ESCALATOR OVER THE HILL』 (71年) の2枚。その後、後者やマイケル・マントラー『NO ANSWER』(74年)などで共演を重ねたジャック・ブルースに請われ、5人組のジャック・ブルース・バンドに参加。ギターがローリング・ストーンズ脱退直後のミック・テイラーなど、かなり興味深いラインナップだったが、アルバムはモノにできず、わずか2ヶ月程度の英欧ツアーだけで解散している。貴重なライヴ音源『LIVE '75』が発掘されたのは、ゼロ年代になってから。その筋では聴き処多々と人気が高い。
ただし自分がカーラの名を知ったのは、冒頭に触れたニック・メイスンの81年作『NICK MASON'S FICTITIOUS SPORTS(空想感覚)』の時で。8曲すべてがカーラ作で、夫マイケル・マントラー、3人目の夫になるスティーヴ・スワローも参加している。でも当時の自分は誰も知らず、馴染みのある名はロック側のロバート・ワイアットやクリス・スペディングくらい。“プログレとフリー・ジャズの融合” と注目されたその音も、深く理解するには至らず、「へぇ、ニック・メイスンってこんな小難しいのが好きなんだ…」と、奇異なモノに触れた感覚だった。
しかし82年に『LIVE!(艶奏会)』、84年『HEAVY HEART』と、カーラのソロをリリースごとチェックしていくと、徐々にシックリ来るように。人気曲<Lawns>入りの『SEXTET』(87年)も、一時期よく聴いていた。自分にとっては、ずーっと縁遠い存在のままだったラージ・アンサンブルへの入り口を教えてくれたのが、ギル・エヴァンスとカーラなのだ。
遡るカタチでゲットした78年『DINNER MUSIC』は、クリス・パーカーを除くスタッフの面々とレコーディングした異種交配作。ドラムは全曲スティーヴ・ガッドとクレジットされているが、実際に叩いているのは、当時ニューヨークと東京を行き来していた故・村上ポンタ秀一だという。コレ、実はポンタさん自身が、秘伝として『自暴自伝』で明らかにしている話。実際にアルバムを聴くと、クレジット通りガッドが叩いていると思われる曲と確かにそれらしくない曲が混在。果たして、カーラ自身はどこまで把握していたのだろうか?
コロナ前まで精力的なリリースを行なっていたジャズ才女の大往生。デヴィッド・ボウイ『★』以前にカーラがいたことは、ずーっと忘れずにいたいものです。
Rest in Peace...
作品的には、チャーリー・ヘイデンの70年作で作編曲/ピアノで参加した『LIBERATION MUSIC ORCHESTRA』、ポール・ヘインズとの共演作でジャズ・オペラ作品とされるJCOA発『ESCALATOR OVER THE HILL』 (71年) の2枚。その後、後者やマイケル・マントラー『NO ANSWER』(74年)などで共演を重ねたジャック・ブルースに請われ、5人組のジャック・ブルース・バンドに参加。ギターがローリング・ストーンズ脱退直後のミック・テイラーなど、かなり興味深いラインナップだったが、アルバムはモノにできず、わずか2ヶ月程度の英欧ツアーだけで解散している。貴重なライヴ音源『LIVE '75』が発掘されたのは、ゼロ年代になってから。その筋では聴き処多々と人気が高い。
ただし自分がカーラの名を知ったのは、冒頭に触れたニック・メイスンの81年作『NICK MASON'S FICTITIOUS SPORTS(空想感覚)』の時で。8曲すべてがカーラ作で、夫マイケル・マントラー、3人目の夫になるスティーヴ・スワローも参加している。でも当時の自分は誰も知らず、馴染みのある名はロック側のロバート・ワイアットやクリス・スペディングくらい。“プログレとフリー・ジャズの融合” と注目されたその音も、深く理解するには至らず、「へぇ、ニック・メイスンってこんな小難しいのが好きなんだ…」と、奇異なモノに触れた感覚だった。
しかし82年に『LIVE!(艶奏会)』、84年『HEAVY HEART』と、カーラのソロをリリースごとチェックしていくと、徐々にシックリ来るように。人気曲<Lawns>入りの『SEXTET』(87年)も、一時期よく聴いていた。自分にとっては、ずーっと縁遠い存在のままだったラージ・アンサンブルへの入り口を教えてくれたのが、ギル・エヴァンスとカーラなのだ。
遡るカタチでゲットした78年『DINNER MUSIC』は、クリス・パーカーを除くスタッフの面々とレコーディングした異種交配作。ドラムは全曲スティーヴ・ガッドとクレジットされているが、実際に叩いているのは、当時ニューヨークと東京を行き来していた故・村上ポンタ秀一だという。コレ、実はポンタさん自身が、秘伝として『自暴自伝』で明らかにしている話。実際にアルバムを聴くと、クレジット通りガッドが叩いていると思われる曲と確かにそれらしくない曲が混在。果たして、カーラ自身はどこまで把握していたのだろうか?
コロナ前まで精力的なリリースを行なっていたジャズ才女の大往生。デヴィッド・ボウイ『★』以前にカーラがいたことは、ずーっと忘れずにいたいものです。
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