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朝、起きぬけに飛び込んできたのは、長年ウイングスのメンバーとしてポール・マッカートニー夫妻を支えていた名脇役、デニー・レインの訃報。昨年感染した新型コロナの後遺症で間接性肺疾患を発症。その後も療養を続けていたが、重篤な状態に陥り、9月には現在の妻エリザベスが療養支援のクラウドファンディグを立ち上げ、懸命に看病。しかし12月5日に、とうとう帰らぬ人となってしまった。享年79歳。

デニー・レインことブライアン・フレデリック・アーサー・ハインズは、1944年、英国バーミンガム生まれ。62年にデニー・レイン&ディプロマッツを結成して、地元で演奏活動を開始。バンドには後にムーヴやELOに参加したロイ・ウッドやベヴ・ベヴァンがいた。彼らは64年にはR&Bプリーチャーズを名を変えたが、その頃にはグレアム・エッジが参加。更に地元ビール会社の名を貰ったM&Bファイヴと名乗る頃には、レイ・トーマス、マイク・ピンダー、ジョン・ロッジがバンドに参加した。そしてこのメンバーで64年ににレコード・デビュー。その際、M&Bの頭文字から、ムーディー・ブルースと改名している。ビート・ブームに湧く当時の英音楽シーンだったが、R&B指向ながらもフルート奏者がいて大人びたサウンドを持っていた彼らは、そう名乗るのに相応しいかったようだ。

そして2枚目のシングルとして出したのが、デニーの当たり曲<Go Now>。65年初頭に全英トップ・シングル(全米10位)になったが、元々はベッシー・バンクスというソウル・シンガーのカヴァーである。その後65年に1stアルバム『THE MAGNIFICANT MOODIES』をリリースしたが、その中にはジェームス・ブラウンやソロモン・バーク、ジョージ・ガーシュインのカヴァーがあって、完全にソウル指向。数曲あるオリジナルも、デニーとマイク・ピンダーのオリジナルで、彼らが初期ムーディーズの主導権を握っていたことが分かる。しかしバンド内では次第にプログレ指向が高まり、中心メンバーだったデニーが67年に脱退。その後デッカの後ろ盾を得たムーディーズは、『DAYS OF FUTURE PASSED(サテンの夜)』を機に、路線を変更して人気を獲得していった。

一方デニーは、エレクトリック・ストリングス・バンドを結成。これが短命に終わると、元クリームのジンジャー・ベイカーが組んだエア・フォースの2作(70年)に参加し、シンガーとして貢献している。その後 新バンドを準備中にポールから誘われ、ウイングスに参加。解散まで彼を支えたのはご存知の通り。ちょうど『BAND ON THE RUN』50周年盤のリリースが発表されたタイミングだが、他のメンバーがアフリカのラゴス行きを拒否する中、献身的に貢献してくれるデニーの存在は、ポール&リンダにとって頼もしいモノだったはずだ。

「デニーは素晴らしい才能を持ち、ユーモアのセンスもあり、いつも人を助ける準備ができていた。彼はすべてのファンから惜しまれ、友人たちには心からいとおしく思い出されるだろう」(ポール・マッカートニー)

Rest in Peace...


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