パット・メセニーの『DREAM BOX SOLO TOUR』が今週からスタート。札幌からスタートし、現時点で新潟、高崎、東海での公演が終了し、SNSでは出掛けた方々からの反応がポツポツ上がってきている。この後は大阪、岩手を周り、Blue Note Tokyoでのロン・カーターとの共演6days、同じくソロ6daysと続く。1ヶ月弱の長いジャパン・ツアーだ。基本ワンマンで身軽なはずなのに、大阪以西のコンサートが入っていないのは不思議だけれど。でもパットは昔から、結構こまめに小さなライヴハウスを回っていた。前にもちょっと書いたコトがあるけれど、スタンディングで100人も入れば一杯になってしまうような地元の小屋で、80年代の全盛期パット・メセニー・グループ(以下PMG)を目の当たりにしてしまったため、それ以降、自分はメセニーのライヴを封印してしまっている。アレを超えるメセニーには出会えないという確信、最上級のパフォーマンスを観た時の衝撃、それが自分の中に渦巻いているからだ。
場所は今はなき大宮のライヴ・ハウス:FREAKS。昭和な歓楽街の中ほどにあったハコで、普段は日本のロック・バンドがよく出演、自分はそこでジャドーズを見た覚えがあるが、お世辞にもとても外タレが演るトコロじゃなかった。当時の自分は、やたら残業の多い会社のしがないサラリーマン。平日に都内のライヴに足を運ぶのはほとんど不可能だったけれど、この時は、一度観てみたかったメセニーが地元へ来るというので、都合をつけた。
時は87年10月の『STILL FILE』のツアー中。何でもメセニー自身のたっての希望で、全国で数本、ホール公演の合間にライヴ・ハウスでのアコースティック・パフォーマンスが急遽決まったという。確か、ツアー始めのサンプラザ公演で情報公開され、それを友人からの連絡で知ったのだ。前情報ではライル・メイズとのデュオ、なんて話だったが、行ってみたら、スティーヴ・ロドビー(b) もポール・ワーティコ (ds) も入ってのカルテット。ロドビーは終始ウッド・ベースだったものの、グランド・ピアノの上には小ぶりなデジタル・シンセが置いてあったし、メセニーも曲によってギター・シンセを手にした。結局ヴォーカルやパーカッション抜きのPMGといった風情で、主要曲はほとんどプレイ。休憩を挟んで、トータル2時間半ぐらいのフル・パフォーマンスだったと記憶する。
でも、それこそBlue Noteの半分もない、穴倉のような小屋。もう超絶至近距離でメセニーが髪を振り乱してフルアコを鳴らしているワケで、もうスゲェのナンの… 初期PMGの清新で広大な音世界が、熱気とスリルを持って目の前に繰り広げられたのだ。
更にもうひとつ、こぼれ話があって。開演前の待ち時間中、混む前に…と早めに用を足しにいったら、男子トイレの前に数人の列。自分のすぐ前には、もじゃもじゃヘアーでボーダーのシャツ着た野郎がいた。ナンだ、ファッションまで真似したクレージーなファンだな、と思ったら、用を済ませて振り返ってビックリ ナンと、パット本人でないの。他にも気づいた人がいたみたいだったけど、サスガにその直後では、握手はもちろん、声をかけるコトさえ憚られましたわ
その後PMGは徐々に難解な方向へ進み出し、相棒ライル・メイズも4年前に他界。そろそろライヴ解禁してもいいのか…、とは思うけど、やっぱり思い出は美しいままが良いのかな?
時は87年10月の『STILL FILE』のツアー中。何でもメセニー自身のたっての希望で、全国で数本、ホール公演の合間にライヴ・ハウスでのアコースティック・パフォーマンスが急遽決まったという。確か、ツアー始めのサンプラザ公演で情報公開され、それを友人からの連絡で知ったのだ。前情報ではライル・メイズとのデュオ、なんて話だったが、行ってみたら、スティーヴ・ロドビー(b) もポール・ワーティコ (ds) も入ってのカルテット。ロドビーは終始ウッド・ベースだったものの、グランド・ピアノの上には小ぶりなデジタル・シンセが置いてあったし、メセニーも曲によってギター・シンセを手にした。結局ヴォーカルやパーカッション抜きのPMGといった風情で、主要曲はほとんどプレイ。休憩を挟んで、トータル2時間半ぐらいのフル・パフォーマンスだったと記憶する。
でも、それこそBlue Noteの半分もない、穴倉のような小屋。もう超絶至近距離でメセニーが髪を振り乱してフルアコを鳴らしているワケで、もうスゲェのナンの… 初期PMGの清新で広大な音世界が、熱気とスリルを持って目の前に繰り広げられたのだ。
更にもうひとつ、こぼれ話があって。開演前の待ち時間中、混む前に…と早めに用を足しにいったら、男子トイレの前に数人の列。自分のすぐ前には、もじゃもじゃヘアーでボーダーのシャツ着た野郎がいた。ナンだ、ファッションまで真似したクレージーなファンだな、と思ったら、用を済ませて振り返ってビックリ ナンと、パット本人でないの。他にも気づいた人がいたみたいだったけど、サスガにその直後では、握手はもちろん、声をかけるコトさえ憚られましたわ
その後PMGは徐々に難解な方向へ進み出し、相棒ライル・メイズも4年前に他界。そろそろライヴ解禁してもいいのか…、とは思うけど、やっぱり思い出は美しいままが良いのかな?