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jeff beck_rough & readygass

訃報。第2期ジェフ・ベック・グループやその残党で組んだハミングバード、ファミリーの後継グループ:ストリートウォーカーズなどで活躍したシンガー/ギタリストのボビー・テンチが、英国時間20日に亡くなった。現時点では死因不明。享年79歳だった。

ボビーことロバート・テンチは、1944年、ロンドン生まれ。名を上げたのは、71年に参加した第2期ジェフ・ベック・グループである。が、65年頃にザ・ガスというバンドを組み、シングルを複数リリース。メンバー・チェンジを重ねながら、スピーク・イージーやザ・フラミンゴ・クラブといったロンドンのクラブ・サーキットで活動していた。70年に唯一のアルバム『GASS』(初回リリースは『JUJU』)を発表。このアルバムには、フリートウッド・マックの看板ギタリスト:ピーター・グリーンも参加している。その後もザ・ガスはメンバーの出入りを繰り返し、テンチや結成メンバーのゴッドフリー・マクリーン (ds) 、ベースのデリスル・ハーパーらは、やがてゴンザレスとしても活動を始めた。

一方ジェフ・ベックは、71年初頭に第2期ジェフ・ベック・グループを結成。当初はアレックス・リジャートウッドがシンガーに起用される。しかしレーベルの意向で正式採用は却下され、急遽その後任としてテンチに白羽の矢が立った。テンチはココで『ROUGH AND READY』『JEFF BECK GROUP(通称Orange)を発表。メディアには第1期の花形ロッド・スチュワートに比較されて苦労するが、この時期のベックはソウル〜R&Bにアプローチしていて、その血筋を引くテンチの起用は理に適っていた。その後の新グループ結成時は別シンガーがフロントに立ったが、すぐベックから呼び戻され、最終的にベック・ボガード&アピスに収斂される直前までステージに立っている。

その後リンダ・ルイスのサポートを経て、ジェフ・ベック・グループの元メンバー中心に組まれたハミングバードに参加。リード・シンガー兼サイド・ギタリストとして、75~77年に『HUMMINGBIRD』『WE CAN'T GO ON MEETING LIKE THIS(密会)』『DIAMOND NIGHTS』という3枚のアルバムを制作。併行してファミリーの後継グループ:ストリートウォーカーズでも活動し、解散までに3枚のスタジオ・アルバムに貢献した。70年後半はヴァン・モリソンのサポート、80年に入ってスティーヴ・マリオット主導による再編ハンブル・パイなどで活動。その後も元クラッシュのトッパー・ヒードン、超ベテランであるアラン・プライス、ストリートウォーカーズの看板シンガーだったロジャー・チャップマンらを、シンガー/ギタリストとしてサポート。シン・リジー、ピーター・グリーン、スティーヴ・マリオットらの各トリビュートコンサートにも呼ばれている。

このように、今になって振り返ると、常に名脇役というか、フロントを引き立てる実務的ポジションでずーっと重用されてきた人。逆に言えば、実力派シンガーなのに、前に立つだけのスター性に乏しかった。でもだからこそ愛着が湧くというか、名前を見かける度に「頑張ってるなぁ〜」とホッとした気持ちにさせられてきた。結局テンチが一番輝いていたのは、リード・シンガーとして活躍したハミングバード、そしてジェフ・ベック・グループ時代、というコトになろうか。

あぁ、また優れた職人ミュージシャンが一人、消えてしまったよ…。
Rest in Peace...

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