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朝一番で訃報。ジャズ・サックス奏者で、セッション・ミュージシャンとしても大活躍してきた稲垣次郎が、去る1月18日、肺炎で亡くなっていたことが明らかにされた。 既に家族、近親者のみで四十九日の法要を済ませたという。享年90歳。

今になって思えば、四角四面の日本のジャズ界に於いて、ジャンルを超越すべく風穴を開けたのが、ドラムの石川晶と猪俣毅、そしてこの稲垣次郎。ナベサダこと渡辺貞夫が、日本を飛び出してボサノヴァやアフロ・ジャズへのアプローチを導入したのに対し、日本のジャズ・ミュージシャンはスタジオ・ワークで生活費を稼ぎながら、深夜帯などスタジオの空き時間を有効に使って、ロックやポップス、ファンク、ソウル、そして時には純邦楽など、異ジャンルとの融合を試みた。その先駆的存在が、先に挙げた稲垣たち。稲垣はソウル・メディア、石川はカウント・バッファローズ、猪俣はサウンド・リミテッドを率いながら互いに切磋琢磨を重ね、近年 “和ジャズ” として取り上げられるような作品群を次々にリリースしてきた。

今田勝、川崎燎、大野俊三、鈴木宏昌、松木恒秀、岡澤章など、稲垣の下で研鑽を積んだ著名ジャズ・ミュージシャンも多く、佐藤允彦のように共演作で凌ぎを削った者もいる。70年代初頭、まだクロスオーヴァーやフュージョンの黎明が訪れる前、ジャズとロックの間の音楽とは何かと、模索を続けていた時代の話だ。これまでJ-フュージョンの起源というと、=ナベサダ、という論調が主流だった。けれど本場のジャズ・シーンに身を投じ、そこからボサノヴァやアフロを持ち帰ったナベサダよりも、ハプニングス・フォーや内田裕也&ザ・フラワーズとの接点からジャズに疑問を持ち始め、69〜70年に猪俣と一緒に渡米してフィルモア・ウエストあたりで多くのロック・バンドを聴いたのを機に、いち早く4ビートから足を洗った稲垣の足取りの方が、深いリアリティを感じる。ジャズ・ロックの名盤とされる『HEAD ROCK』が73年、ジャズ・ファンクにシフトしてクルセイダーズをカヴァーして見せた『IN THE GROOVE』が75年と、とにかく早いのだ。

しかし一方で、稲垣や石川のグループはジャズじゃない、と批判を受け、某人気ジャズ・クラブから締め出され…。が、入れ替わるように西城秀樹やピンク・レディのツアーが忙しくなっていったそうである。

ようやく近年になって和ジャズが注目され始め、アナログ復刻が進んできた稲垣周辺。現状、この辺りに対する熱の入れ様は、レコード会社によってかなり開きがあるけれど、フュージョン方面でもジワジワ再評価機運が高まっているようだから、そのルーツとして和ジャズがもっとシッカリ再認識されてもイイはず。そのキッカケが訃報というの、ちょっと悲しいコトだけれど…。

ちなみに稲垣さんご自身のお気に入りワークスは、鈴木宏昌と作った『BY THE RED STREAM』(73年 / 鈴木宏昌+稲垣次郎とビッグ・ソウル・メディア名義)だそう。

ご冥福をお祈りします…





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2010-01-20