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エリック・カルメンが逝った。突然に…。訃報が飛び込んで来たのは、日本時間の12日午前。エリックの妻エイミーが、公式ウェブサイトで明らかにしたという。死因や死亡時間は明らかにされていないが、彼女のコメントに拠れば、先週末、眠ったまま息を引き取ったらしい。享年74歳。
表立った活動をしていなかったベテラン・アーティストの訃報があると、突然大勢のファンが振って湧いてくるのはいつもコト。でもこの今日の追悼コメントの多さは、隠遁状態の外タレにしては異常なほどで。よく考えれば、それだけ愛されてた、ってコトだけど、だったらもっと普段から話題にしてあげてよ、なんて思ってしまう。かくいう自分も他人様のコトは言えないけれど、ソロの再発やラズベリーズの紙ジャケ復刻はシッカリ当ブログで触れていたはずだし、ラズベリーズの再編ライヴ『LIVE ON SUNSET TRIP』 (07年)もポストしたな。
自分がエリックことを知ったのは、やっぱりラズベリーズのヒット。確か中学生の頃だったと思うが、ちゃんとアルバムを買って聴いたのは、78年のソロ3作目『CHANGE OF HEART』がお初。しかも80年代に入って、AORを意識するようになってからの後追いだった。<All By Myself>や<Never Gonna Fall In Love Again>は、普通にアメリカン・ポップスのヒット曲として耳馴染みがあったから、あのエリック・カルメンがAORを演っていたの?と、少々意外な気持ちで中古盤を買った気がする。
しかしその頃はもう既に人気は下降線で。84年作『ERIC CARMEN』はオン・タイムで聴いたが、当時は全然ピ〜ンと来なかった。でも同じようなタイミングで映画『FOOTLOOSE』から飛び出したヒット曲<Almost Paradise>(マイク・レノ&アン・ウィルソン/全米7位)が彼の作品と知り…。
その後ソロ・アルバムが出ると思い込んでいたところ、88年に待たされてようやく出たのは『THE BEST OF ERIC CARMEN』。でもココから、やはり映画『DIRTY DANCING』挿入歌<Hungry Eyes>と<Make Me Loose Control>が相次いで全米トップ5入り。それでもまだアルバムは出ず、結局98年の日本先行アルバム『WINTER DREAMS(夢の面影)』まで待たされるコトになる。でもその時エリックがプロモーションで来日。確か新宿にあったヴァージン・メガ・ストアだったと思うが、エレキ・ピアノの弾き語りでインストア・ライヴをやってくれた。数曲歌ってくれたと記憶しているが、何故か何を演ってくれのか…。 新作からは歌ったけど、以前のヒットを歌ってくれたかどうか、まったく覚えていない
実はその後、ブルース・ガイチ&ジェイニー・クルーワー夫妻がプロデュースしていたAOR TOKYO SESSIONの出演者候補に、エリックの名前が挙がったコトがあった。ちょうど10年くらい前、2010年代前半のことだ。あのイベントは、ブルース夫妻と招聘元コットン・クラブのブッキング・マネージャー、そして自分などが中心になってプランニングしていたが、マーク・ジョーダン、ランディ・グッドラム、トミー・ファンダーバークに続いて、エリックかティモシー・シュミットを呼ぼうと名前が出たのだ。でも今になって考えると、第4弾候補というよりは、第3弾の時から候補に挙がっていたのかも。確か彼の名を出したのはブルースで(WINTER GAMESに夫妻で参加していた)、ティモシーを押したのは自分やコットン側だったかな。しかしティモシーは再編イーグルスのツアーで忙しくなり、エリックも決まらずで、そのまま開催自体が消えてしまった。う〜ん、あの時に決めきれていたら…と思うと、ちょっと、イヤ、かなり残念である。
結局その後のエリックは、コンピは出ても、オリジナルのニュー・アルバムが作られるコトはなく、17年発売の再編ラズベリーズによるライヴ盤『POP ART LIVE』(録音自体は『LIVE ON SUNSET TRIP』が録られた前年の04年に地元クリーブランドで録音)が最後のリリースに。完璧主義だったのかもしれないけれど、85年以降のマイペースぶりは、もうちょっと何とかならなかったのかと、思えてならないな。
Rest in Peace...
自分がエリックことを知ったのは、やっぱりラズベリーズのヒット。確か中学生の頃だったと思うが、ちゃんとアルバムを買って聴いたのは、78年のソロ3作目『CHANGE OF HEART』がお初。しかも80年代に入って、AORを意識するようになってからの後追いだった。<All By Myself>や<Never Gonna Fall In Love Again>は、普通にアメリカン・ポップスのヒット曲として耳馴染みがあったから、あのエリック・カルメンがAORを演っていたの?と、少々意外な気持ちで中古盤を買った気がする。
しかしその頃はもう既に人気は下降線で。84年作『ERIC CARMEN』はオン・タイムで聴いたが、当時は全然ピ〜ンと来なかった。でも同じようなタイミングで映画『FOOTLOOSE』から飛び出したヒット曲<Almost Paradise>(マイク・レノ&アン・ウィルソン/全米7位)が彼の作品と知り…。
その後ソロ・アルバムが出ると思い込んでいたところ、88年に待たされてようやく出たのは『THE BEST OF ERIC CARMEN』。でもココから、やはり映画『DIRTY DANCING』挿入歌<Hungry Eyes>と<Make Me Loose Control>が相次いで全米トップ5入り。それでもまだアルバムは出ず、結局98年の日本先行アルバム『WINTER DREAMS(夢の面影)』まで待たされるコトになる。でもその時エリックがプロモーションで来日。確か新宿にあったヴァージン・メガ・ストアだったと思うが、エレキ・ピアノの弾き語りでインストア・ライヴをやってくれた。数曲歌ってくれたと記憶しているが、何故か何を演ってくれのか…。 新作からは歌ったけど、以前のヒットを歌ってくれたかどうか、まったく覚えていない

実はその後、ブルース・ガイチ&ジェイニー・クルーワー夫妻がプロデュースしていたAOR TOKYO SESSIONの出演者候補に、エリックの名前が挙がったコトがあった。ちょうど10年くらい前、2010年代前半のことだ。あのイベントは、ブルース夫妻と招聘元コットン・クラブのブッキング・マネージャー、そして自分などが中心になってプランニングしていたが、マーク・ジョーダン、ランディ・グッドラム、トミー・ファンダーバークに続いて、エリックかティモシー・シュミットを呼ぼうと名前が出たのだ。でも今になって考えると、第4弾候補というよりは、第3弾の時から候補に挙がっていたのかも。確か彼の名を出したのはブルースで(WINTER GAMESに夫妻で参加していた)、ティモシーを押したのは自分やコットン側だったかな。しかしティモシーは再編イーグルスのツアーで忙しくなり、エリックも決まらずで、そのまま開催自体が消えてしまった。う〜ん、あの時に決めきれていたら…と思うと、ちょっと、イヤ、かなり残念である。
結局その後のエリックは、コンピは出ても、オリジナルのニュー・アルバムが作られるコトはなく、17年発売の再編ラズベリーズによるライヴ盤『POP ART LIVE』(録音自体は『LIVE ON SUNSET TRIP』が録られた前年の04年に地元クリーブランドで録音)が最後のリリースに。完璧主義だったのかもしれないけれど、85年以降のマイペースぶりは、もうちょっと何とかならなかったのかと、思えてならないな。
Rest in Peace...