流線形改め RYUSENKEIの新作リリースや、長年お蔵入りしていた幻のリンダ・キャリエールのアルバム・リリース決定と、話題の多い新生アルファ・ミュージック。公式noteに寄稿する形で関わって早2年になるが、こういうふうに盛り上がってくるとは。先週行われたコンベンションも多くの関係者が集まり、大いに盛り上がっておりました。…てなトコロで、『ALFA+アルファ〜リアル・クロスオーヴァー進化論』、更新のお知らせ。第9回目のテーマは、ちょっと渋くて喜多嶋修を。
今となっては、喜多嶋修って誰?と言われてしまうかな? 少し前なら、喜多嶋舞の父親、という形容も成り立ったけれど、それもちょっと古そう。加山雄三の従兄弟、というのは通用しそうだけど、まぁ詳しいプロフィールは alfa note の記事 をお読みいただくとして。
喜多嶋修は、琴や琵琶、鼓、尺八といった和楽器を洋楽にミックスさせたパイオニアの一人。個人的には、クラシックの世界から前衛音楽のフィールドへ移った世界的打楽器奏者ツトム・ヤマシタと双璧を成す、と思っていて。ツトム・ヤマシタは71年に英国で実験芸術集団レッド・ブッダ・シアターを主宰し、74年にはデヴィッド・ボウイ主演映画『地球に落ちてきた男』のサントラを担当。その後 自分のゴー・プロジェクトで、スティーヴ・ウィンウッドやマイケル・シュリーヴ(元サンタナ)、アル・ディメオラ、クラウス・シュルツ(元タンジェリン・ドリーム)らと共演している。またミック・ジャガーの来日公演では、ゲスト・パーカッション奏者としてステージを共に。その後は舞台創作などマルチ・アーティストとして活動し、宗教的アプローチも行っているらしい。
対して、弱冠15歳で加山のバック・バンド:ランチャーズに参加した喜多嶋は、担当エンジニアだった吉野金次と親しくなり、ロンドンでレコーディング技術を学んでいる。帰国後、マルチ・ミージシャンとして一人多重録音にトライし、ジャスティン・ヒースクリフの名でソロ・デビュー。エンジニアはもちろん吉野で、このアルバムを聴いた細野晴臣が、はっぴいえんど『風街ろまん』のミックスを吉野に委ねることを決めたとされる。このアルバムは中期ビートルズ的な内容だったが、ロンドンで日本人のアイデンティティに目覚めたか、和楽器の演奏を勉強。そこから和楽器と洋楽のミクスチャーを試み、喜多郎の出身バンド:ファー・イースト・ファミリー・バンドの宮下フミオとの共演を経て、74年にソロ・アルバム『弁財天』を発表した。それを機にL.A.へ移住。セルジオ・メンデスに師事していたYUTAKAこと横倉裕に琴を伝授したり、尺八奏者で後にプロデューサーとしても知られるようになる松居カズとも近い関係になっている。もしかしたら、79年デビューの日系人バンド:ヒロシマのメンバーとも関係がありそうだな。
81年にアルファから出した『DRAGON KING(竜王)』は、後にソロでも活躍するフィル・ペリーやリーナ・スコットがシンガーとして、ヴィクター・フェルドマン (kyd)、ハーヴィー・メイスン (ds)、ジェイムス・ギャドソン (ds)、バニー・ブルネル (b) らが演奏陣で参加している。そしてこの辺りの歌モノが、90年代以降のレア・グルーヴ・シーンで注目された。一応海外でCD化されたコトはあるけれど、ぜひ日本でもシッカリ出し直して欲しいところだ。
喜多嶋修は、琴や琵琶、鼓、尺八といった和楽器を洋楽にミックスさせたパイオニアの一人。個人的には、クラシックの世界から前衛音楽のフィールドへ移った世界的打楽器奏者ツトム・ヤマシタと双璧を成す、と思っていて。ツトム・ヤマシタは71年に英国で実験芸術集団レッド・ブッダ・シアターを主宰し、74年にはデヴィッド・ボウイ主演映画『地球に落ちてきた男』のサントラを担当。その後 自分のゴー・プロジェクトで、スティーヴ・ウィンウッドやマイケル・シュリーヴ(元サンタナ)、アル・ディメオラ、クラウス・シュルツ(元タンジェリン・ドリーム)らと共演している。またミック・ジャガーの来日公演では、ゲスト・パーカッション奏者としてステージを共に。その後は舞台創作などマルチ・アーティストとして活動し、宗教的アプローチも行っているらしい。
対して、弱冠15歳で加山のバック・バンド:ランチャーズに参加した喜多嶋は、担当エンジニアだった吉野金次と親しくなり、ロンドンでレコーディング技術を学んでいる。帰国後、マルチ・ミージシャンとして一人多重録音にトライし、ジャスティン・ヒースクリフの名でソロ・デビュー。エンジニアはもちろん吉野で、このアルバムを聴いた細野晴臣が、はっぴいえんど『風街ろまん』のミックスを吉野に委ねることを決めたとされる。このアルバムは中期ビートルズ的な内容だったが、ロンドンで日本人のアイデンティティに目覚めたか、和楽器の演奏を勉強。そこから和楽器と洋楽のミクスチャーを試み、喜多郎の出身バンド:ファー・イースト・ファミリー・バンドの宮下フミオとの共演を経て、74年にソロ・アルバム『弁財天』を発表した。それを機にL.A.へ移住。セルジオ・メンデスに師事していたYUTAKAこと横倉裕に琴を伝授したり、尺八奏者で後にプロデューサーとしても知られるようになる松居カズとも近い関係になっている。もしかしたら、79年デビューの日系人バンド:ヒロシマのメンバーとも関係がありそうだな。
81年にアルファから出した『DRAGON KING(竜王)』は、後にソロでも活躍するフィル・ペリーやリーナ・スコットがシンガーとして、ヴィクター・フェルドマン (kyd)、ハーヴィー・メイスン (ds)、ジェイムス・ギャドソン (ds)、バニー・ブルネル (b) らが演奏陣で参加している。そしてこの辺りの歌モノが、90年代以降のレア・グルーヴ・シーンで注目された。一応海外でCD化されたコトはあるけれど、ぜひ日本でもシッカリ出し直して欲しいところだ。
今では凄いプレミア付いててビックリしてますが・・・
そちらもいつか再発してほしいところですが、そもそもアポロンの原盤権って今どうなってるんですかねぇ?