タートルズ、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング、ジェファーソン・エアプレイン、ジェファーソン・スターシップなどで活躍した職人ドラマー、ジョン・バーベイタが8日に死去。J.エアプレインの公式SNSが明らかにした。現時点で死因は不明。享年79歳。
ジョン・バーベイタは1945年、米ニュージャージー州パセーイク生まれ。16歳の時、家族と共にカリフォルニアへ移り、バンド活動を開始。約5年間在籍したセンティナルズというバンドでは、複数のアルバムを作り、62年に出したシングル<Latin'ia>は西海岸ローカルのサーフィン・ヒットになって、ライチャス・ブラザーズとツアーを行なっている。グループ解散後は、末期メンバーだったリー・マイケルズと共にハリウッドへ向かい、66年春にドラマーを探していたタートルズに加入。初めてレコーディングした曲が、全米No.1を記録する<Happy Together>だった。
69年にタートルズを離れ、セッション活動を行ないながら、キャンド・ヒートのジョエル・スコット・ヒル、フライング・ブリトー・ブラザーズのクリス・エスリッジと合流。彼らとのセッションは『L.A. GETAWAY』(71年)としてリリースされる。バーベイタはこの頃から、ダラス・テイラーの後任としてクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングに請われ、ライヴ・アルバム『4 WAY STREET』に参加。彼らが崩壊後もそれぞれのソロ作やクロスビー&ナッシュ共演作などで叩いている。その後クロスビーの紹介で、新しいドラマーを探していたジェファーソン・エアプレインに加入。『LONG JOHN SILVER』 (72年) とライヴ盤『THIRTY SECONDS OVER WINTERLAND』 (73年) に参加するも、今度はエアプレインが分裂。バーベイタはポール・カントナー、グレイス・スリック、マーティ・ベイリンの主流派に残り、新たにジェファーソン・スターシップの乗組員に。グループが産業ロックに向かう前までの、『DRAGON FLY』『RED OCTOPUS』『SPITFIRE』『EARTH』の4作に参加した。が、この後大きな交通事故に遭い、首や背中など30箇所以上を骨折。その療養のためグループ脱退を余儀なくされ、ジャーニーを脱退したばかりのエインズレー・ダンバーにその座を譲っている。その時一緒に加入したヴォーカルが、かのミッキー・トーマスだった。
87年に娘が生まれたのを機に、妻の故郷であるオクラホマ集エイダに転居。その後は気ままな音楽活動
を続けていたそうだ。
Rest in Peace...
69年にタートルズを離れ、セッション活動を行ないながら、キャンド・ヒートのジョエル・スコット・ヒル、フライング・ブリトー・ブラザーズのクリス・エスリッジと合流。彼らとのセッションは『L.A. GETAWAY』(71年)としてリリースされる。バーベイタはこの頃から、ダラス・テイラーの後任としてクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングに請われ、ライヴ・アルバム『4 WAY STREET』に参加。彼らが崩壊後もそれぞれのソロ作やクロスビー&ナッシュ共演作などで叩いている。その後クロスビーの紹介で、新しいドラマーを探していたジェファーソン・エアプレインに加入。『LONG JOHN SILVER』 (72年) とライヴ盤『THIRTY SECONDS OVER WINTERLAND』 (73年) に参加するも、今度はエアプレインが分裂。バーベイタはポール・カントナー、グレイス・スリック、マーティ・ベイリンの主流派に残り、新たにジェファーソン・スターシップの乗組員に。グループが産業ロックに向かう前までの、『DRAGON FLY』『RED OCTOPUS』『SPITFIRE』『EARTH』の4作に参加した。が、この後大きな交通事故に遭い、首や背中など30箇所以上を骨折。その療養のためグループ脱退を余儀なくされ、ジャーニーを脱退したばかりのエインズレー・ダンバーにその座を譲っている。その時一緒に加入したヴォーカルが、かのミッキー・トーマスだった。
87年に娘が生まれたのを機に、妻の故郷であるオクラホマ集エイダに転居。その後は気ままな音楽活動
を続けていたそうだ。
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「ブロウ・モンキーズ/ナイン・ビロウ・ゼロ等でも活躍 ブライアン・ベセル死去」
79歳。
チャックべりーからザ・フーまで多数のアーティストのバックを担当。
死因は心不全。