legends_montereux 97legends_montruex 97 reissue

デヴィッド・サンボーン急逝に関連して レジェンズ。何だか自分的にはスゴくビックリしてしまったんだけど、サンボーン好き、サンボーン追悼、という割には、このプロジェクトのことを今までを知らなかったという方が存外多くて… 噂のあったスタジオ・アルバムは作られなかったが、こうして映像作品が残されている。もっともサンボーン自身はあくまでメンバーの一員、あくまで1/5というポジションだけれど。

メンバーはエリック・クラプトンにサンボーン、マーカス・ミラー、ジョー・サンプル、スティーヴ・ガッド。発起人はマーカス。サンボーン、サンプル、ガッドとスペシャル・バンドを組んでツアーする企画を持っていた彼は、ギタリストとしてクラプトンに声を掛けたのだ。ロック・ジャイアンツでアーティストとしては格上のクラプトンだが、ジャズの手練れたちに囲まれたら、いつも通りとはいかない。マーカスもダメ元で声を掛けたらしいけど、当のクラプトンは「いつもと違ったコトを演りたい」と二つ返事で承諾。急遽、ヨーロッパ各地のジャズ・フェスティヴァルやイベントを回るショート・ツアーが組まれ、そのファースト・ナイトがモントルー・ジャズ・フェスティヴァルになった。

OKしたものの、内心は「自分には彼らと張り合うような腕なんてない」と自分を卑下したらしいクラプトン。でももともと彼は、サントラ『LEATHAL WEAPON』(87年)盤でサンボーンと共演した仲で、サンボーン『UPFRONT』(92年)にもゲスト参加。そこでマーカスと出会っている。ツアーに向けて用意されたセット・リストも、クラプトンの希望に沿ってメンバー持ち寄りとなり、サンボーンやクルセイダーズの曲に、ブルース・ナンバーやデューク・エリトン・ナンバーなどが入った。従来のクラプトン・ナンバーは、それこそ<Layla>くらい。クラプトンもまた、他の4人と対等な立場でプロジェクトに参加したワケだ。

この短いツアーの後、クラプトンは当時制作中だった『PILGRIM』のレコーディングに戻り、そこで初めてガッドをセッションに参加させる。そしてその後のツアーにはジョー・サンプルも名を連ね、このレジェンズの余韻を味わうことができた。クラプトン・ファンにもフュージョン・ファンにも軽視されがちな企画モノのプロジェクトだったが、ガッドはその後も断続的にクラプトン・バンドに参加し、最近のジャパン・ツアーにも一緒に来ている。クラプトンがココで思い出したであろう、一人のミュージシャンとして演奏することの喜びは、翌年からスタートするクロスロード・フェスティヴァルにも反映されていっただろう。

当時は「なぜココにクラプトン?」という声が多かったが、ロックだ、ジャズだ、フュージョンだ、というカテゴリーは、あくまで売る側、宣伝する側の都合で設けられるもの。音楽はもっと自由であってイイはずだ。結局どのジャンルに於いても、やっぱり保守的原理主義からピタリと動かないファンが一番困ったチャンみたいだなぁ。