英国版クロスビー・スティルス&ナッシュ、なんて言われた元スティーラーズ・ホイールのジョー・イーガンが、英国時間6日午後、家族や近しい人たち見守られて息を引き取ったそうだ。元相方ジェリー・ラファティ(2011年没)の公式Facebookページを通じて、イーガンの家族がメッセージを寄せた。現時点では死因は不明。享年77。
ジョーことジョセフ・イーガンは、スコットランドのペイズリー生まれ。学生時代に。幼馴染みであるジェリー・ラファティとザ・マーヴェリックスを、更にデュオでザ・フィフス・コラムを結成。66年に英Columbiaから出したシングル<Benjamin Day>が、2人のデビューになる。しかしラファティが、地元の人気フォーク・グループ:ハンブルハムズに引き抜かれ、別々の道に。しかしそのハンブルハムズも70年に解散。ラファティは71年に初のソロ・アルバム『CAN I HAVE MY MONEY BACK?』を発表し、評論家筋に「ポール・マッカートニー的」と好評を得た。そしてそこに参加し、曲作りでも貢献したイーガンと旧交復活。彼ら2人にリズム隊、+ラブ・ノークスが加わった5人組スティーラーズ・ホイールを結成するのだ。
スティーラーズ・ホイールは72年にデビュー。既にラファティとイーガン以外は入れ替わってしまったが、伝説的作曲家チームのリーバー&ストーラーがプロデュースした1st アルバムからは、<Stuck In The Middle>が英米でそれぞれトップ10入りする大ヒット。ところがバンドとして長続きせず、結局彼ら2人のデュオになり、75年の3作目『RIGHT OR WRONG』を最後にコンビ解消。ソロに戻ったラファティは、78年に<Baker Street>が全英首位・全米2位のビッグ・ヒットを放ち、スティーラーズ・ホイール以上の成功を手にしている。
が、イーガンの方はずーっと地味なまんま。79年に出した初ソロ『OUT OF NOWHERE』は、レオ・セイヤーを育てたデヴィッド・コートニーが制作で、ソフィスティケーション半ばのメロウ・フォークな作り。バックがレイジー・レイザーで、ギャラガー&ライルがゲスト参加していたが、相方ラファティと比べるとポップネスは控えめだ。でも背中合わせになった ほのかな寂寥感と人懐っこさが、如何にもイーガンらしい。81年にも『MAP』をリリースしたが、結局ほとんど陽の目を見ないまま、前線から撤退。AORジャケの『STAY AS YOU ARE』は、その『MAP』のUSヴァージョンになる。
ある意味、大物になったラファティ以上に、英国ポップスの良心をジンワリ伝えてくれた人だったな。Rest in Peace...
スティーラーズ・ホイールは72年にデビュー。既にラファティとイーガン以外は入れ替わってしまったが、伝説的作曲家チームのリーバー&ストーラーがプロデュースした1st アルバムからは、<Stuck In The Middle>が英米でそれぞれトップ10入りする大ヒット。ところがバンドとして長続きせず、結局彼ら2人のデュオになり、75年の3作目『RIGHT OR WRONG』を最後にコンビ解消。ソロに戻ったラファティは、78年に<Baker Street>が全英首位・全米2位のビッグ・ヒットを放ち、スティーラーズ・ホイール以上の成功を手にしている。
が、イーガンの方はずーっと地味なまんま。79年に出した初ソロ『OUT OF NOWHERE』は、レオ・セイヤーを育てたデヴィッド・コートニーが制作で、ソフィスティケーション半ばのメロウ・フォークな作り。バックがレイジー・レイザーで、ギャラガー&ライルがゲスト参加していたが、相方ラファティと比べるとポップネスは控えめだ。でも背中合わせになった ほのかな寂寥感と人懐っこさが、如何にもイーガンらしい。81年にも『MAP』をリリースしたが、結局ほとんど陽の目を見ないまま、前線から撤退。AORジャケの『STAY AS YOU ARE』は、その『MAP』のUSヴァージョンになる。
ある意味、大物になったラファティ以上に、英国ポップスの良心をジンワリ伝えてくれた人だったな。Rest in Peace...