英国人ロック・シンガーで、アラン・パーソンズやルパート・ホームズがプロデューサーとして関わったことで知られるジョン・マイルスのキャリア終盤の3作が、クラムシェル・ボックスにパッケージされた紙ジャケット仕様で再発。エルトン・ジョンやクリス・レアのプロデュースで名高いガス・ダッジョンが手掛けたAOR寄りの83年作『PLAY ON』が、ようやく初CD化された。なのでそこを中心にご紹介。出したのは英Cherry Red傘下の再発レーベル:Lemon Recordings。
ジョン・マイルスは76年にアルバム『REBEL』でデビュー。するといきなりアルバムが全英9位、シングル<Music>が全英3位のヒットになった。後続『STRANGER IN THE CITY』『ZARAGON』が、ルパート・ホームズのプロデュース。でもその内容はAORではなく、ちょっとヒネリの入ったポップ・ロック作の趣き。デビュー作以来、断続的に続いているアラン・パーソンズとの関係も保ったが、いまひとつパッとしなかった。
そんな中、デッカからEMIに移籍しての2作目、通算7作目にあたるのが、この『PLAY ON』である。長きに及ぶ曲作りのパートナー兼ベース奏者のボブ・マーシャルは作曲だけの参加で、同じくずっとリズムの要だったバリー・ブラック (ds) も不参加。代わりに英国の敏腕センションマンたち、ピート・ウィングフィールド (kyd) やダンカン・マッケイ (syn), マーティン・ジェナー (g), フランク・リコッティ (perc), メル・コリンズ/ディック・モリッシー (sax) 、ポール・バックマスター (arr) らが参加した。その辺りが吉と出たのか、最初のシングルに切られた壮大なバラード<The Right To Sing>や爽快ポップス<Song For You>が好評を呼び、後者はブラジルなどでCMに使われたそうだ。
他にもニューウェイヴっぽい音作りを取り入れた<It Wasn't Love At All>、たおやかなアコースティック・バラード<Ready To Spread Your Wings>、ブリット・ファンク調の<Heart Of Stone>に、ほんのりボビー・コールドウェル風に迫る<Home>、AORマナーが効いてるポップ・ミディアム<Close Eyes Count To Ten>が続き、<Carrie>ではストリングスを効かせて大きく展開していく。コレ、個人的にはかなりの名曲だと思うけど。実際88年にホリーズがシングルB面でカヴァー。そこではジョン自身がゲスト参加し、バック・ヴォーカルで歌っているそうだ。
しかしこうしたAOR寄りの多彩な音作りは、彼のやりたいコトではなかったのだろう。すぐにボブ・マーシャル、元ジェスロ・タルのバリューモア・バーロウ (ds) とのトリオ:ジョン・マイルズ・バンドを組み、英欧ツアーを実施。元アトランティック副社長フィル・カーソンに認められ、イエスを復活させたトレヴァー・ラヴィンの一部プロデュースで、『TRANSITION』(86年)を出す。でもこれが失敗。その後はティナ・ターナーのブレーンとして活躍し、アラン・パーソンズ・プロジェクトやジミー・ペイジのアルバムでも歌っていた。93年の復帰作『UPFRONT』もティナのサポートを受けてのもので、作曲にトム・ケリー/ビリー・ステインバーグ、サイモン・クライミー、演奏面でニール・ステューベンハウスやアレックス・アクーニャの名があるものの、その音はスワンプ寄りの豪放ロックだった。しかも日本盤解説では、『PLAY ON』や『TRANSITION』の存在が無きモノに… その後も地道に活動を続けていたらしいが、コロナ下の2021年暮れに72歳で没している。
この『PLAY ON』は、25年前に出した『AOR Light Mellow 』初版本にも掲載したほどの、ちょっとしたUK産AORの隠れ好盤。単独リイシューじゃないのは残念だけど、まずは復刻を祝って。
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《Tower Recordsはココから》
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そんな中、デッカからEMIに移籍しての2作目、通算7作目にあたるのが、この『PLAY ON』である。長きに及ぶ曲作りのパートナー兼ベース奏者のボブ・マーシャルは作曲だけの参加で、同じくずっとリズムの要だったバリー・ブラック (ds) も不参加。代わりに英国の敏腕センションマンたち、ピート・ウィングフィールド (kyd) やダンカン・マッケイ (syn), マーティン・ジェナー (g), フランク・リコッティ (perc), メル・コリンズ/ディック・モリッシー (sax) 、ポール・バックマスター (arr) らが参加した。その辺りが吉と出たのか、最初のシングルに切られた壮大なバラード<The Right To Sing>や爽快ポップス<Song For You>が好評を呼び、後者はブラジルなどでCMに使われたそうだ。
他にもニューウェイヴっぽい音作りを取り入れた<It Wasn't Love At All>、たおやかなアコースティック・バラード<Ready To Spread Your Wings>、ブリット・ファンク調の<Heart Of Stone>に、ほんのりボビー・コールドウェル風に迫る<Home>、AORマナーが効いてるポップ・ミディアム<Close Eyes Count To Ten>が続き、<Carrie>ではストリングスを効かせて大きく展開していく。コレ、個人的にはかなりの名曲だと思うけど。実際88年にホリーズがシングルB面でカヴァー。そこではジョン自身がゲスト参加し、バック・ヴォーカルで歌っているそうだ。
しかしこうしたAOR寄りの多彩な音作りは、彼のやりたいコトではなかったのだろう。すぐにボブ・マーシャル、元ジェスロ・タルのバリューモア・バーロウ (ds) とのトリオ:ジョン・マイルズ・バンドを組み、英欧ツアーを実施。元アトランティック副社長フィル・カーソンに認められ、イエスを復活させたトレヴァー・ラヴィンの一部プロデュースで、『TRANSITION』(86年)を出す。でもこれが失敗。その後はティナ・ターナーのブレーンとして活躍し、アラン・パーソンズ・プロジェクトやジミー・ペイジのアルバムでも歌っていた。93年の復帰作『UPFRONT』もティナのサポートを受けてのもので、作曲にトム・ケリー/ビリー・ステインバーグ、サイモン・クライミー、演奏面でニール・ステューベンハウスやアレックス・アクーニャの名があるものの、その音はスワンプ寄りの豪放ロックだった。しかも日本盤解説では、『PLAY ON』や『TRANSITION』の存在が無きモノに… その後も地道に活動を続けていたらしいが、コロナ下の2021年暮れに72歳で没している。
この『PLAY ON』は、25年前に出した『AOR Light Mellow 』初版本にも掲載したほどの、ちょっとしたUK産AORの隠れ好盤。単独リイシューじゃないのは残念だけど、まずは復刻を祝って。
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