80年代のシスコ・ロックの名脇役的存在だったグレッグ・キーン・バンドのグレッグ・キーンが、13日に死去。アルツハイマー病を患っていた。15日に当人の公式サイトが明らかにしている。享年75。グレッグ・キーンは1949年、メリーランドのバルチモア生まれ。最初はシンガー・ソングライター的活動を行なっていたらしいが、74年にサンフランシスコに移り、ロック志向にシフト。塗装工やレコード屋店員として働きながら、路上ライヴを行なっていたという。76年、同郷のプロデューサー:マシュー・キング・カウフマンのレーベル:Beserkleyからデビュー。ソロからバンドへ名義を変えつつ、10枚以上のアルバムをコンスタントに発表した。
グレッグ・キーンで一番有名なのは、83年に出した唯一の全米トップ3ヒット<Jeopardy>。収録アルバム『KIHNSPIRACY』 は、『シスコ、大好き』という分かりやすいが身も蓋もない邦題で売り出された。でも確かに、地味に実直にキャリアを積んできた人というイメージがあって、売り出すのが難しそうだったな。80年代に入ってからのアルバムは、どれも “KIHN” という名前を使った語呂合わせのアイトルになっていた。 81年作『ROCKIHNROLL』、82年作『KIHNTINUED』、83年作がコレで、84年作は『KIHNTAGIOUS』、EMI America移籍後の85年作も『CITIZE KIHN』とか。最初のヒットも『ROCKIHNROLL』からの<The Breakup Song>(全米15位)。要するにコレ以前のグレッグ・キーンは、真面目でストレートすぎて遊びの要素が足りなかったのかも?
いやいや、まだソロ名義だった77年の2nd『GREG KIHN AGAIN』は、ほとんど志村ケンのバカ殿様状態のアートワークで、日本人は大笑いなんですけど ちなみに志村の『バカ殿』は、番組としては80年代半ばにスタートしたが、ドリフのコント・キャラとしては77年頃から登場していたそう。志村のソウル好きは有名だけれど、果たしてコレはどちらが早いのか…
筆者的には、初めて聴いたグレッグ・キーン・バンドは、82年作『KIHNTINUED』だったと思う。その印象は、良いバンドだけど小さくまとまってるなぁ…、と。シンプルなロックン・ロールにポップな要素を交えて、今で言うパワー・ポップ風味に仕上げているけど、リンダ・ロンシュタット『MAD LOVE』で活躍したマーク・ゴールデンバーグ(クリトーンズ)ほど吹っ切れていない感じ。そんな時にシスコ・ロックの顔でもあるスティーヴ・ミラー・バンドが、久々に<Abracadabra>の全米No.1ヒットを飛ばし、バンドの面々は「オォ、コレだ」と。持ち前のパワー・ポップ感覚に、スティーヴ・ミラーからヒントを得た英国産ニュー・ウェイブの色合いを加味して、見事<Jeopardy>を大ヒットに繋げた。
その後も頑張って中ヒットは飛ばしたが、あまり器用な連中ではなかったからか、明らかに失速。いつしか名前を聞かなくなり、グレッグ自身は後年、小説を書いたりしていたそうだ。ヒットが出たこのアルバム以外は、CD化も遅れていたなぁ…
Rest in Peace...
いやいや、まだソロ名義だった77年の2nd『GREG KIHN AGAIN』は、ほとんど志村ケンのバカ殿様状態のアートワークで、日本人は大笑いなんですけど ちなみに志村の『バカ殿』は、番組としては80年代半ばにスタートしたが、ドリフのコント・キャラとしては77年頃から登場していたそう。志村のソウル好きは有名だけれど、果たしてコレはどちらが早いのか…
筆者的には、初めて聴いたグレッグ・キーン・バンドは、82年作『KIHNTINUED』だったと思う。その印象は、良いバンドだけど小さくまとまってるなぁ…、と。シンプルなロックン・ロールにポップな要素を交えて、今で言うパワー・ポップ風味に仕上げているけど、リンダ・ロンシュタット『MAD LOVE』で活躍したマーク・ゴールデンバーグ(クリトーンズ)ほど吹っ切れていない感じ。そんな時にシスコ・ロックの顔でもあるスティーヴ・ミラー・バンドが、久々に<Abracadabra>の全米No.1ヒットを飛ばし、バンドの面々は「オォ、コレだ」と。持ち前のパワー・ポップ感覚に、スティーヴ・ミラーからヒントを得た英国産ニュー・ウェイブの色合いを加味して、見事<Jeopardy>を大ヒットに繋げた。
その後も頑張って中ヒットは飛ばしたが、あまり器用な連中ではなかったからか、明らかに失速。いつしか名前を聞かなくなり、グレッグ自身は後年、小説を書いたりしていたそうだ。ヒットが出たこのアルバム以外は、CD化も遅れていたなぁ…
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