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改めてセルジオ・メンデス、R.I.P.
今朝は速報だけのポストだったので、自分にとってのセルメン追悼を。<マシュ・ケ・ナダ (Mais Que Nada)>から始まるブラジル'66での偉業は、もちろん素晴らしいモノ。ある意味 日本のポップス界にとって、ビートルズに匹敵するくらいの影響力があったと言えるんじゃないだろうか。今の60歳代末〜70歳代前半くらいの音楽好きにとっては、まさにド真ん中だったはずで、ビートルズでロックに目覚めた男性が多かったとしたら、セルメンで洋楽を好きになった女性、子供時代にピアノを習っていたようなイイとこのボンボンが多かったのではないかと思う。シティポップ系のアレンジャーや女性シンガーたちは、ホント、みんなセルメンが大好きだ。

セルジオがブラジル'66をスタートさせたのは、まさに1966年。前身のブラジル'65はジャズ色が強すぎ、米国向けに路線を練り直して再スタートしたところ、すぐさま<マシュ・ケ・ナダ >が大ヒットした。3作目『LOOK AROUND』(68年)から、オーケストラ・アレンジでデイヴ・グルーシンが参加。セルジオが「彼からスウィートニングの方法を学んだ」と、全幅の信頼を寄せるように。だが71年作『STILLNESS』で異変が発生。フラワー・ムーヴメントやウッドストックで時代の変化を感じたセルジオは、ジョニ・ミッチェルやスティーヴン・スティルス、ブラッド・スウェット&ティアーズらのカヴァーを取り入れ、看板シンガー:ラニ・ホールの脱退劇が起きる。でもセルジオは、これを機にグループを改革。夫人グラシーニャ・レポラーセ、ゲスト参加が多かったオスカル・カストロ・ネヴィス(g)らを新メンバーに迎え、ブラジル'77として再スタートを切った。その第1弾『PAIS TROPICAL』は、断然ファンキーな仕上がりになっている。

その先にあるのが、改名後4作目に当たる74年作『VINTAGE '74』だ。ここでセルジオは、初めてスティーヴィー・ワンダーへの傾倒を明かし、<Don't You Worry 'Bout A Thing><迷信><If You Really Love Me(真実の愛)>の3曲をリメイク。他にもレオン・ラッセル作<This Masquerade>をお馴染みのジョージ・ベンソンより早く取り上げた。この時期になると、メンバーにラウヂール・ジ・オリヴェイラとポウリーニョ・ダ・コスタがいたり、ゲストにリー・リトナーがいたりで、明らかにフェーズが変わっている。セールスは厳しくても、音楽面では顕著なクロスオーヴァー化が見られて面白いのだ。セルジオはこの頃から実際にスティーヴィーとの親交が生まれ、スティーヴィーの74年作『FIRST FINALE』にポルトガル語の訳詞を提供。またオリヴェイラはシカゴと共演を重ね、75年に正式メンバーに迎えられている。

続いてセルジオは、グルーシン制作でソロ名義の『SERGIO MENDES』(国によってブラジル'77名義)をリリース。再びスティーヴィー作品を3曲取り上げた他、リオン・ウェア作でクインシー・ジョーンズやアヴェレージ・ホワイト・バンドで知られる<If I Ever Lose This Heaven>、ダニー・ハサウェイ<Someday We'll All Be Free>などメロウ・トラックをズラリと並べ、後にレア・グルーヴの人気盤としている。更に76年作『HOMECOCKING』からは、エドガー・ウィンターの<Tell Me In A Whisper>がキラー・チューンに。元々はワンダーラヴにいたマイケル・センベロも、この頃からセルジオのブレーンに参画するようになった。そして名前に New がついた『SERGIO MENDES & THE NEW BRASIL '77』で、遂にスティーヴィー本人がゲスト参加。クラブ定番<The Real Thing>など2曲を提供し、キーボードを弾いている。同時にボズ・スキャッグス<Love Me Tomorrow>、シカゴ<If You Leave Me Now>らのカヴァーがあり、チャック・レイニーやアンソニー・ジャクソン、スティーヴ・ガッドなども参加。レコーディングとライヴを切り離し、適材適所のキャスティングで思い通りのサウンドを作ろうとしたのが伝わってくる。

きっとその先に、83年作『SERGIO MENDES(愛をもう一度)』があるのだろう。15年ぶりに全米トップ5入りした<Never Gonna Let You Go>で有名になったアルバムだが、この曲自体のリリースは、ジェイ・グレイドンのプロデュースによるディオンヌ・ワーウィック『FRIENDS IN LOVE』や、スティーヴィー・ウッズ版の方が先。個人的に今更感が強かったのに、あれよあれよという間に大ヒットし、驚いたのを覚えている。そもそも何でセルジオがこの曲を? この頃のセルジオは、曲もロクに書かず、アレンジして鍵盤をちょっと弾く程度。楽曲での存在感は極めて薄い。それは、彼がクインシー・ジョーンズみたいなプロデューサーを目指し、アルバム・トータルを俯瞰するポジションに立ったから。この狙いは<Never Gonna Let You Go>のヒットでひとまず成功したが、一方でブラジル音楽というセルジオのシグネイチャーを薄めることになり、長続きはしなかった。フランク・ザッパと演っていたピーター・ウルヅが参加した『BRASIL '88』とか、めちゃカッコ良かったんですけど。

でもそれ故に、その後はラテン・フュージョン色を濃くしていくことに。その最高峰が92年作『BRASILEIRO』ではないか。そこで彼はカルリーニョス・ブラウン、ギンガ、ケヴィン・レトーら、新しい才能を起用。角松敏生ファンなら必聴の1枚でもあり、AGHARTAのワールド・ミュージック的アプローチに繋がる直・関接的引用がふんだんに楽しめる。しかしそこに止まらぬのが、セルジオのセルジオたる所以。05年作『TIMELESS』では、また新たな局面に立つことになった。Will I Amにプロデュースを委ね、ヒップホップ勢に急接近。一気にファン層を若返らせて、第一線への復活を遂げた。

こうして60年にも及ぶ活動を再考すると、セルジオの自由な感性、嗅覚の鋭さがよく分かる。ボサノヴァの人として語られがちだが、実は本当に興味が湧くのは、実はそこから先。さすがにスティーヴィーのような独創性は持ち得なかったものの、時代の空気を読み、複数のエレメントを融合させて新しいカタチに再構成するセンスは他の誰にも勝る。ブラジル音楽への愛情を湛えながら、ある時は繊細に、またある時は大胆に、他のジャンルやスタイルとのミックスを試みる。そんな偉人が、また一人、空の向こうへ旅立っていった。

改めて安らかに…