

60〜70年代はシンガー・ソングライターとして活躍、近年はドナルド・フェイゲンの奥方として知られるリビー・タイタスが、13日に亡くなった。フェイゲン自身がスティーリー・ダン公式サイトで発信。現時点で死因は明らかにされていない。享年77。
68年に人知れず発表していた幻のファーストは、ビートルズ<Fool On The Hill><Here,There And Everywhere><Strawberry Fields Forever>の3曲、ラヴィン・スプーンフルも3曲、さらにティム・ハーディン、ジョニ・ミッチェル、ビージーズ、ポール・サイモンらのカヴァーを含む、ほんのりジャジーなイージー・リスニング・ヴォーカル・アルバム。魅力はやっぱりリビーのキュートな歌声だ。
レヴォン・ヘルムとの間に子供を設けた後、77年に発表した2作目は、フィル・ラモーン総指揮のもと、ロビー・ロバートソン、ポール・サイモン、カーリー・サイモンらが手を貸した人気作。その各人の元にそれぞれの一派が集合し、ジェイムス・テイラー、ハース・マルティネス、ガース・ハドソン、ジャズ・ギタリストのジョー・ベック、パティ・オースティン等など、かなり幅広い人脈を動員した。でもその内容は、いかにもウッドストック産らしいヴォーカル・アルバムで、オールド・タイミーなジャズ・フィーリングを湛えていた。エリック・カズとの共作した最も重要なバラード〈Love Has No Pride〉が入っているのもココ。72年にボニー・レイット、73年にリンダ・ロンシュタット、74年にトレイシー・ネルソンとリタ・クーリッジなどがカヴァーしたあと、ようやくリビー・ヴァージョンが世に出た。他にもアル・クーパーとの楽曲などもある。
タイプ的には、ちょっとキャロル・ベイヤー・セイガーっぽいところがあるリビーだけれど、彼女よりはシッカリ歌えているか。その後ドクター・ジョンとも浮き名を流し、その共演がセサミ・ストリートの隠れ好盤『IN HARMONY』で聴ける。80年代後半にはドナルド・フェイゲンと深い仲になり、やがて結婚。スティーリー・ダン活動再開のキッカケとなった“ニューヨーク・ロック&ソウル・レビュー”をフェイゲンと主宰。何回目からかウォルター・ベッカーが参加するようになって、それがスティーリー・ダン再スタートに繋がった。
シンガーとしては大成しなかったものの、カーリーやドクター・ジョンは彼女をテーマにした曲を書いている。表舞台に立つり、意外とそういう “歴史の裏にこの人アリ”というタイプなんだろう。
Rest in Peace...
レヴォン・ヘルムとの間に子供を設けた後、77年に発表した2作目は、フィル・ラモーン総指揮のもと、ロビー・ロバートソン、ポール・サイモン、カーリー・サイモンらが手を貸した人気作。その各人の元にそれぞれの一派が集合し、ジェイムス・テイラー、ハース・マルティネス、ガース・ハドソン、ジャズ・ギタリストのジョー・ベック、パティ・オースティン等など、かなり幅広い人脈を動員した。でもその内容は、いかにもウッドストック産らしいヴォーカル・アルバムで、オールド・タイミーなジャズ・フィーリングを湛えていた。エリック・カズとの共作した最も重要なバラード〈Love Has No Pride〉が入っているのもココ。72年にボニー・レイット、73年にリンダ・ロンシュタット、74年にトレイシー・ネルソンとリタ・クーリッジなどがカヴァーしたあと、ようやくリビー・ヴァージョンが世に出た。他にもアル・クーパーとの楽曲などもある。
タイプ的には、ちょっとキャロル・ベイヤー・セイガーっぽいところがあるリビーだけれど、彼女よりはシッカリ歌えているか。その後ドクター・ジョンとも浮き名を流し、その共演がセサミ・ストリートの隠れ好盤『IN HARMONY』で聴ける。80年代後半にはドナルド・フェイゲンと深い仲になり、やがて結婚。スティーリー・ダン活動再開のキッカケとなった“ニューヨーク・ロック&ソウル・レビュー”をフェイゲンと主宰。何回目からかウォルター・ベッカーが参加するようになって、それがスティーリー・ダン再スタートに繋がった。
シンガーとしては大成しなかったものの、カーリーやドクター・ジョンは彼女をテーマにした曲を書いている。表舞台に立つり、意外とそういう “歴史の裏にこの人アリ”というタイプなんだろう。
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