ウエストコースト音楽やAOR好きにはお馴染みのシンガーで、名ドラマー:ラス・カンケルの最初の奥様でもあったリア・カンケルが、26日に死去した。享年76。結婚前の本名はリア・コーエン。ママス&パパスのママ・キャスことエレン・ナオミ・コーエンの妹としても知られ、親しい友人でプロデューサーのフレッド・モーリンもSNSに追悼コメントをポストしている。
リアは1948年、メリーランド州バルチモア生まれ。幼少期はクラシックやジャズに親しみ、ハイスクール時代はフォークに熱中。ビートルズの登場に感化され、ハイスクールを出るとビヴァリー・ヒルズの姉のアパートに転がり込んだ。すると交友関係の広い姉キャスのお陰で、リアの人脈も大きく広がり、4人組コットン・キャンディとして69年にABCダンヒルからデビュー。シングル1枚のリリースに終わるも、シンガーのリアとドラムのラス・カンケルが結婚。ギターとベースのダン・ウォルシュとマイケル・プライスはスティーヴ・バリに気に入られ、グラスルーツにヒット曲を書いてバリのブレーンに出世していく。
その後ジャクソン・ブラウンの1stに参加し、親しくなったスティーヴン・ビショップと<Under The Jamaican Moon>を共作。これがニック・デカロの傑作『ITALIAN GRAFFITI』(74年)に取り上げられ、リアの知名度が上昇していく。76〜77年にはジェームス・テイラーやカーリー・サイモン、アーロ・ガスリー、ジェームス・リー・スタンリー、ミッシェル・ポルナレフのUS盤などに参加。中でも注目したいのが、ビッシュやアート・ガーファンクルとの関係で。アーティは75年作『BREAKAWAY(愛への旅立ち)』で初めてビッシュ<Lookin’ For The Right One>を取り上げ、ビッシュのソロ・デビューを後押しすることになるが、そのアーティにビッシュを紹介したのが他ならぬリア。それを機に彼女はアーティ作品常連となり、ソロ・ツアーにも同行。サイモン&ガーファンクル時代の曲ではリアがポール・サイモンのパートを歌ったそうだ。
リアのソロ作はわずか2枚。79年の『LEAH』、80年『I RUN WITH TROUBLE』で、どちらも好盤ながら、西海岸ファンには『LEAH』、レア・グルーヴ好きには2作目を愛でる傾向があるか。80年にはレニー・アーマンド、マーティ・グウィンとコヨーテ・シスターズというヴォーカル・トリオを組むが、デビューが遅れ、ようやく84年になってモータウン傘下のレーベル:モロッコから初アルバムを発表。<Straight from the Heart >が全米66位まで上昇した。が、タイミングがズレたこともあったのか、長続きせずに自然消滅。後続作を出すのは、01年まで待たされることになる。
一方でリアは、80年代半ばになって大学に復学。弁護士資格を取り、マサチューセッツ州を拠点にエンターテインメント関連の仕事に関わった。稀にリヴィングストン・テイラーやバリー・マンのアルバムにクレジットされることはあったが、近年は法律学校でも非常勤教授を務めていたらしい。残念だが、あの美声を聴けるのはもうカタログ作品だけになってしまった…
Rest in Peace...
その後ジャクソン・ブラウンの1stに参加し、親しくなったスティーヴン・ビショップと<Under The Jamaican Moon>を共作。これがニック・デカロの傑作『ITALIAN GRAFFITI』(74年)に取り上げられ、リアの知名度が上昇していく。76〜77年にはジェームス・テイラーやカーリー・サイモン、アーロ・ガスリー、ジェームス・リー・スタンリー、ミッシェル・ポルナレフのUS盤などに参加。中でも注目したいのが、ビッシュやアート・ガーファンクルとの関係で。アーティは75年作『BREAKAWAY(愛への旅立ち)』で初めてビッシュ<Lookin’ For The Right One>を取り上げ、ビッシュのソロ・デビューを後押しすることになるが、そのアーティにビッシュを紹介したのが他ならぬリア。それを機に彼女はアーティ作品常連となり、ソロ・ツアーにも同行。サイモン&ガーファンクル時代の曲ではリアがポール・サイモンのパートを歌ったそうだ。
リアのソロ作はわずか2枚。79年の『LEAH』、80年『I RUN WITH TROUBLE』で、どちらも好盤ながら、西海岸ファンには『LEAH』、レア・グルーヴ好きには2作目を愛でる傾向があるか。80年にはレニー・アーマンド、マーティ・グウィンとコヨーテ・シスターズというヴォーカル・トリオを組むが、デビューが遅れ、ようやく84年になってモータウン傘下のレーベル:モロッコから初アルバムを発表。<Straight from the Heart >が全米66位まで上昇した。が、タイミングがズレたこともあったのか、長続きせずに自然消滅。後続作を出すのは、01年まで待たされることになる。
一方でリアは、80年代半ばになって大学に復学。弁護士資格を取り、マサチューセッツ州を拠点にエンターテインメント関連の仕事に関わった。稀にリヴィングストン・テイラーやバリー・マンのアルバムにクレジットされることはあったが、近年は法律学校でも非常勤教授を務めていたらしい。残念だが、あの美声を聴けるのはもうカタログ作品だけになってしまった…
Rest in Peace...
毎度ブログを楽しみに読んでいます
リアのアルバムの事ですがずっと生産中止に
なっていたのは何か問題でもあったのでしょうか
購入出来ず中古でも高値ですので再発されれば嬉しいと思っています。