年も押し迫って風邪を引き(人生初のインフル陽性でした)、丸2日寝込んで平熱に戻ったと思ったら、今度はそれが相方に移って入れ替わりでノックダウン。自分は年内最後のライヴの予定が吹っ飛んで、2人して年末の予定が狂いまくり、冷たい視線がチクチクと痛い年の瀬。でも一方で、数年間もCD復刻されたのを気づかずにいたネタが見つかり、何とか手に入れることができたのでラッキーなコトも。まぁ、人生楽ありゃ苦もあるさぁ〜
そのネタは、サンタナの初代ドラマー:マイケル・シュリーヴを中心に結成された4人組ノヴォ・コンボ。81年『NOVO COMBO』、82年『THE ANIMATION GENERATION』と2枚のアルバムを出し、ザ・ポリスから多大な影響を受けたニュー・ウェイヴ寄りのポップ・ロック・バンドとして、一部で注目された。でもそのメンバー構成を見てみると、AOR好きも思わずニヤリとしてしまうようなミュージシャンが名を連ねていて。
ザ・ポリスの影響を強く感じさせる80年代のUSバンドは複数あったと思うが、新人グループならまだしも、Mr.ミスターのようなキャリア組がその道を辿ったのがとても興味深かった。それはこのノヴォ・コンボも同じ。これはやはり、ザ・ポリスがパンクやニュー・ウェイヴの衣を借りた超テクニカル集団だったからだろう。ド新人のロック・バンドには、ザ・ポリスの真似なんか満足にできなかったのだ。
そこで気になるメンバーたちとは…? まずマイケル・シュリーヴは、先に述べたようにサンタナの初代ドラマー。彼の名声を高めたウッドストック出演時は弱冠20歳だったという。しかし74年『不死蝶 (BORBOLETTA)』を最後にサンタナを離れ、リーダー・バンド:オートマティック・マンを結成。これもギターにパット・スロール(後にヒューズ=スロール、エイジア)、鍵盤にはプレスティッジで2枚のジャズ・ファンク・アルバムを出しているBayete(読みはバイエッタイ/本名トッド・コクラン)が在籍した、言わばスーパー・バンドだった。ところがシュリーヴ自身がベース奏者を引き連れ、山下ツトムやスティーヴ・ウインウッドらが結託したゴー・プロジェクトに移籍(同じアイランド・レーベル所属)。その後初めての大きなプロジェクトがコレになる。
リード・ヴォーカル/ギターのピート・ハウレットは、エリック・カルメンのプロデュースで79年にデビューしたユークリッド・ビーチ・バンドのシンガー。80年にカーリー・サイモンと仕事をすることになったのを機に地元クリーヴランドからニューヨークに出て、メンバーたちと知り合った。もう一人のリード・シンガー/ベースのステファン・ディーズは、初期ホール&オーツのツアー・メンバーで、77年にダリル・ホールのプロデュースによるソロ・アルバム『HIP SHOT』を発表。これは筆者監修『AOR Light Mellow Premium 02』にも掲載している。ノヴォ・コンボ後はパット・トラヴァース・バンドで活躍した。
コレにジャック・グリフィスなるギタリストが加わったのが初代ノヴォ・コンボ。しかし2ndでは既にすでにグリフィスの名はなく、代わりにカルロス・リオスが参加している。そう、ジノ・ヴァネリ『BROTHER TO BROTHER』で彗星の如くデビューし、クインシー・ジョーンズの81年来日公演で日本武道館のステージに立ったサウスポーの敏腕ギタリストだ。ほーら、なんだムズムズしてくるメンツでしょ? 面白いのはキーボードがいない点で、一応メンバーが必要に応じて手分けして弾いている。しかも2nd『THE ANIMATION GENERATION』は、バンドとご存知エリオット・シェイナーの共同プロデュース。
どちらのアルバムも、大勢としてはザ・ポリス・フォロワーであることに変わりはなく、シンガーが2人いる強みを発揮した作りになっている。が、アレンジ的には1作目が多少パワー・ポップ寄りなのに対し、2作目になるとカルロス・リオスの参加でギターの比重が増大。それをエリオット・シェイナーがシャープでメリハリの効いたサウンドでメイクアップしている。人によって好みが割れるところではあるだろうが、サウンド志向の強い自分は断然2作目オシ。
グループはこの2作目の後、ザ・フー、チープ・トリック、グレッグ・レイクらのツアーでフロントアクトを務めたり、モントルー・ジャズ・フェスティヴァルにも出演。だがヒットに恵まれず、自然消滅と相成った。その後シュリーヴは、サミー・ヘイガー、ニール・ショーン、ケニー・アーロンソンらとのHSASとしてアルバム・リリース。近年はサンタナ・ファミリーとの共演も多い。またピート・ハウレットはビリー・ジョエルのブレーンとして活躍。ソビエト公演に同行した他、ジュリアン・レノンやジョー・ジャクソンのアルバムにも参加している。
ザ・ポリスの影響を強く感じさせる80年代のUSバンドは複数あったと思うが、新人グループならまだしも、Mr.ミスターのようなキャリア組がその道を辿ったのがとても興味深かった。それはこのノヴォ・コンボも同じ。これはやはり、ザ・ポリスがパンクやニュー・ウェイヴの衣を借りた超テクニカル集団だったからだろう。ド新人のロック・バンドには、ザ・ポリスの真似なんか満足にできなかったのだ。
そこで気になるメンバーたちとは…? まずマイケル・シュリーヴは、先に述べたようにサンタナの初代ドラマー。彼の名声を高めたウッドストック出演時は弱冠20歳だったという。しかし74年『不死蝶 (BORBOLETTA)』を最後にサンタナを離れ、リーダー・バンド:オートマティック・マンを結成。これもギターにパット・スロール(後にヒューズ=スロール、エイジア)、鍵盤にはプレスティッジで2枚のジャズ・ファンク・アルバムを出しているBayete(読みはバイエッタイ/本名トッド・コクラン)が在籍した、言わばスーパー・バンドだった。ところがシュリーヴ自身がベース奏者を引き連れ、山下ツトムやスティーヴ・ウインウッドらが結託したゴー・プロジェクトに移籍(同じアイランド・レーベル所属)。その後初めての大きなプロジェクトがコレになる。
リード・ヴォーカル/ギターのピート・ハウレットは、エリック・カルメンのプロデュースで79年にデビューしたユークリッド・ビーチ・バンドのシンガー。80年にカーリー・サイモンと仕事をすることになったのを機に地元クリーヴランドからニューヨークに出て、メンバーたちと知り合った。もう一人のリード・シンガー/ベースのステファン・ディーズは、初期ホール&オーツのツアー・メンバーで、77年にダリル・ホールのプロデュースによるソロ・アルバム『HIP SHOT』を発表。これは筆者監修『AOR Light Mellow Premium 02』にも掲載している。ノヴォ・コンボ後はパット・トラヴァース・バンドで活躍した。
コレにジャック・グリフィスなるギタリストが加わったのが初代ノヴォ・コンボ。しかし2ndでは既にすでにグリフィスの名はなく、代わりにカルロス・リオスが参加している。そう、ジノ・ヴァネリ『BROTHER TO BROTHER』で彗星の如くデビューし、クインシー・ジョーンズの81年来日公演で日本武道館のステージに立ったサウスポーの敏腕ギタリストだ。ほーら、なんだムズムズしてくるメンツでしょ? 面白いのはキーボードがいない点で、一応メンバーが必要に応じて手分けして弾いている。しかも2nd『THE ANIMATION GENERATION』は、バンドとご存知エリオット・シェイナーの共同プロデュース。
どちらのアルバムも、大勢としてはザ・ポリス・フォロワーであることに変わりはなく、シンガーが2人いる強みを発揮した作りになっている。が、アレンジ的には1作目が多少パワー・ポップ寄りなのに対し、2作目になるとカルロス・リオスの参加でギターの比重が増大。それをエリオット・シェイナーがシャープでメリハリの効いたサウンドでメイクアップしている。人によって好みが割れるところではあるだろうが、サウンド志向の強い自分は断然2作目オシ。
グループはこの2作目の後、ザ・フー、チープ・トリック、グレッグ・レイクらのツアーでフロントアクトを務めたり、モントルー・ジャズ・フェスティヴァルにも出演。だがヒットに恵まれず、自然消滅と相成った。その後シュリーヴは、サミー・ヘイガー、ニール・ショーン、ケニー・アーロンソンらとのHSASとしてアルバム・リリース。近年はサンタナ・ファミリーとの共演も多い。またピート・ハウレットはビリー・ジョエルのブレーンとして活躍。ソビエト公演に同行した他、ジュリアン・レノンやジョー・ジャクソンのアルバムにも参加している。