
既にSNSなどでご存知の方が多いと思うが、スペクトラムが80年に発表したシングル<F・L・Y>、いま世界的ブームになっている。昨年暮れ、ノスタルジックなゲームやアニメを紹介する動画がTikTokにアップされ、そのBGMとしてスペクトラムが使われたのがキッカケだそうだ。その動画の視聴回数は1月中旬時点で早くも1億回を数えているらしい。
活動は79年〜81年までのわずか2年間。その中で5枚のスタジオ・アルバム、最後に解散コンサートの2枚組ライヴ・アルバムという計6枚をリリース。ホーン・セクションを前面に据えた日本で初めての本格的ポップ・ロック・バンドで、前身はキャンディーズのバックで活躍したMMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)と、そこから分かれてスタジオ・ワークで活躍したホーン・スペクトラム。セッション・ミュージシャン集団という演奏スキルと確かな音楽で、かなりの評価を受けた。古代ローマの戦士みたいなコスチュームで、決まったフリで踊りながらプレイするド派手なパフォーマンスも注目されたが、当時は期待されたほど成功することはなく、日本武道館で解散コンサートを行なって活動にピリオドを打っている。
そのためか、今回の最注目で、“早すぎたバンド”と形容されているのが目につく。でも果たして、スペクトラムの登場は本当に早すぎたのか? 確かに活動期間2年というのは短すぎで、ロクに成果も出ないうちに解散を決めてしまった感は強い。しかも実際は、3枚目完成直後にバンド内が分裂。4・5作目はホーン隊とリズム・セクションそれぞれの欲求不満解消作だったらしい。しかし79年のデビュー時は、まさにこのタイミングしかない、というデビューだったと思うのだ。
日本初の本格的ブラス・ロック・バンドと謳われた彼らは、音楽性といいライヴ・パフォーマンスといい、アース・ウインド&ファイアーからの影響が絶大。日本でE.W.& F.の人気が洋楽ファンに広く浸透したのは、77年作『ALL 'N ALL(太陽神)』からで、US本国よりも日本で人気が爆発したヒット曲<Fantasy(宇宙のファンタジー)>がキッカケだった。音楽的に言えば、シカゴやブラッド・スウェット&ティアーズ、チェイス、タワー・オブ・パワー、パーラメントなどからの影響も少なくない。だがファンク、ジャズ、ロック、ポップスなどを掛け合わせた踊れるクロスオーヴァー・サウンドに、キレッキレのブラス・セクションと、ファルセットを含んだタイプが異なるヴォーカル陣を乗せるというバンドの基本コンセプトは、アース・ウインド&ファイアーがいなければ生まれ得なかったハズだ。
しかしそのE.W.& F.が、80年代に入って徐々にパワー・ダウン。程なくして、ずーっと看板にしていたホーンからシンセサイザー多用にシフトしていくコトを考えると、スペクトラムが大きな衝撃を以て迎えられるチャンスは、ごく短い期間しかなかったと思う。逆を返せば、“早すぎた”というのは、ごく普通にTVやラジオから流れてくる流行歌だけを甘受していた、当時の一般的音楽マーケットに対して。クロスオーヴァーやディスコなど最先端の洋楽にアンテナを張り巡らせていた音楽ファンたちは、「遂に日本にもこういうバンドが現れたか!」と大いに歓迎したはずなのだ。それを1〜2作目で音楽マーケット全般に広く共有させることができなかった点に、スペクトラム解散への道標が潜んでいた。早かったと言われるのは、彼らの方の原因ではなく、流行歌中心に回っていた邦楽マーケットが彼らのコンセプトに追随できなかったからなのだ。
…というワケで、<F・L・Y>もイイけど、<In The Spece>や<Sunrise>もカッコイイし、解散後の彼らが中高生の吹奏楽方面で神格化されるキッカケのひとつとされる<ミーチャン Going to the Hoikuen>も楽しい、スペクトラム最高傑作『OPTICAL SUNRISE』。ベスト盤じゃなくオリジナル・アルバムにチャレンジしたい方は、まずはコレとデビュー・アルバムから。
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《Tower Records はココから》
そのためか、今回の最注目で、“早すぎたバンド”と形容されているのが目につく。でも果たして、スペクトラムの登場は本当に早すぎたのか? 確かに活動期間2年というのは短すぎで、ロクに成果も出ないうちに解散を決めてしまった感は強い。しかも実際は、3枚目完成直後にバンド内が分裂。4・5作目はホーン隊とリズム・セクションそれぞれの欲求不満解消作だったらしい。しかし79年のデビュー時は、まさにこのタイミングしかない、というデビューだったと思うのだ。
日本初の本格的ブラス・ロック・バンドと謳われた彼らは、音楽性といいライヴ・パフォーマンスといい、アース・ウインド&ファイアーからの影響が絶大。日本でE.W.& F.の人気が洋楽ファンに広く浸透したのは、77年作『ALL 'N ALL(太陽神)』からで、US本国よりも日本で人気が爆発したヒット曲<Fantasy(宇宙のファンタジー)>がキッカケだった。音楽的に言えば、シカゴやブラッド・スウェット&ティアーズ、チェイス、タワー・オブ・パワー、パーラメントなどからの影響も少なくない。だがファンク、ジャズ、ロック、ポップスなどを掛け合わせた踊れるクロスオーヴァー・サウンドに、キレッキレのブラス・セクションと、ファルセットを含んだタイプが異なるヴォーカル陣を乗せるというバンドの基本コンセプトは、アース・ウインド&ファイアーがいなければ生まれ得なかったハズだ。
しかしそのE.W.& F.が、80年代に入って徐々にパワー・ダウン。程なくして、ずーっと看板にしていたホーンからシンセサイザー多用にシフトしていくコトを考えると、スペクトラムが大きな衝撃を以て迎えられるチャンスは、ごく短い期間しかなかったと思う。逆を返せば、“早すぎた”というのは、ごく普通にTVやラジオから流れてくる流行歌だけを甘受していた、当時の一般的音楽マーケットに対して。クロスオーヴァーやディスコなど最先端の洋楽にアンテナを張り巡らせていた音楽ファンたちは、「遂に日本にもこういうバンドが現れたか!」と大いに歓迎したはずなのだ。それを1〜2作目で音楽マーケット全般に広く共有させることができなかった点に、スペクトラム解散への道標が潜んでいた。早かったと言われるのは、彼らの方の原因ではなく、流行歌中心に回っていた邦楽マーケットが彼らのコンセプトに追随できなかったからなのだ。
…というワケで、<F・L・Y>もイイけど、<In The Spece>や<Sunrise>もカッコイイし、解散後の彼らが中高生の吹奏楽方面で神格化されるキッカケのひとつとされる<ミーチャン Going to the Hoikuen>も楽しい、スペクトラム最高傑作『OPTICAL SUNRISE』。ベスト盤じゃなくオリジナル・アルバムにチャレンジしたい方は、まずはコレとデビュー・アルバムから。
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びっくり。
私はこの夕方のTVでやっていたこのFLYが出会いの曲でした。
ビジュアルもファルセットも、ホーンも
そうホーンをぐるぐる回すのがかっこいい!
そんなの見たことがありませんでした。
今聞いてもかっこいいので、やっぱり早すぎたんじゃないのかなぁ