



今日は朝からソウル/R&B方面からの訃報が立て続けに。まずはベティ・ライトに並ぶマイアミ・ソウルの歌姫グウェン・マックレイ。続いてカーティス・メイフィールドと共にインプレッションズを立ち上げ、フィリー・ソウルの重鎮チーム:ギャンブル&ハフとも縁の深かったジェリー・バトラー。70年終盤以降、ソウル/R&Bがジャズやロックと濃密にクロスオーヴァーし始めた、いわゆるブラック・コンテンポラリー期からその筋に深入りするようになった自分にとって、正直どちらも、それほど思い入れが強いワケではない。けれどやっぱり両人ともシーンの重要シンガーというコトで、アルバムはそこそこ抑えている。そういえばこの両人、どちらもデュオ作品でも良作を遺していましたね。
先に知ったのは、グウェン・マックレイで、21日に81歳で亡くなったという情報。彼女は2012年6月、英国公演を終えた後に脳卒中で倒れ、左半身麻痺で歩行不能に陥っていた。今回の死因は現時点で伝えられていない。
グウェン・モズリーはフロリダ州ペンサコーラ生まれ。子供の頃からペンタコステ派教会でゴスペルを歌い、64年にジョージ・マックレイと結婚。出会ってわずか1週間後のことだったという。夫婦で歌い始めた彼らは、ベティ・ライトに見出され、69年にデビュー。グウェンは平行してソロ活動も行ない、75年に発表した<Rockin' Chair>がR&Bチャートを制覇した。TK傘下のキャット・レーベルからソロ4作、ジョージとのデュオ1作をリリース。80年に入ってアトランティックから2枚のアルバム出して制作から遠ざかるが、ココん家のお客様には、そのアトランティック2作目『ON MY WAY』をオススメしておく。プロデュースがウェブスター・ルイス、傘下ミュージシャンにジェイムス・ギャドソン、ネイザン・ワッツ、デヴィッド・T・ウォーカー、マイケル・ワイコフ、ロビー・ブキャナン、フレッド・ウェズリーなど。グウェンのハスキーなド迫力ヴォイスも程よく洗練を纏い、TK時代に比べて耳触りが良くなった。だから聴きやすいのだ。
インプレッションズの創設メンバーとして知られるジェリー・バトラーは、それゆえにシカゴ出身と思われがち(今回の死亡報道では実際にそう書いているところも)だが、実際はミシシッピ州サンフラワー生まれ。3歳の頃に家族でシカゴに転居し、そこの教会でカーティス・メイフィールドに出会っている。58年にインプレッションズでデビュー。しかしバトラーはすぐにグループを抜け、ソロ活動へ。その黄金時代は60年代のマーキュリー時代と言っていいようで、最初にギャンブル&ハフと組んだ68年作『THE ICE MAN COMETH』はこの時期の代表作とされる。その後 迷いが出た時期もあったらしいが、78年にフィラデルフィア・インターナシュナルへ迎えられ、ギャンブル&ハフと再会セッション。それが上掲『NOTHING SAYS I LOVE YOU LIKE I LOVE YOU』だ。そしてその移籍前にモータウンに残したのが、テルマ・ヒューストンとの『THELMA & JERRY』『TWO TO ONE』の2枚。内容も単なる企画作以上で、ジェリーの実直な歌いっぷりがフィリー・インターへの橋渡し的役割を果たしている。
ジェリーの逝去は20日のこと。長くパーキンソン病を患っており、自宅で静かに息を引き取ったと伝えられている。享年85。
2人揃って、Rest in Peace...
グウェン・モズリーはフロリダ州ペンサコーラ生まれ。子供の頃からペンタコステ派教会でゴスペルを歌い、64年にジョージ・マックレイと結婚。出会ってわずか1週間後のことだったという。夫婦で歌い始めた彼らは、ベティ・ライトに見出され、69年にデビュー。グウェンは平行してソロ活動も行ない、75年に発表した<Rockin' Chair>がR&Bチャートを制覇した。TK傘下のキャット・レーベルからソロ4作、ジョージとのデュオ1作をリリース。80年に入ってアトランティックから2枚のアルバム出して制作から遠ざかるが、ココん家のお客様には、そのアトランティック2作目『ON MY WAY』をオススメしておく。プロデュースがウェブスター・ルイス、傘下ミュージシャンにジェイムス・ギャドソン、ネイザン・ワッツ、デヴィッド・T・ウォーカー、マイケル・ワイコフ、ロビー・ブキャナン、フレッド・ウェズリーなど。グウェンのハスキーなド迫力ヴォイスも程よく洗練を纏い、TK時代に比べて耳触りが良くなった。だから聴きやすいのだ。
インプレッションズの創設メンバーとして知られるジェリー・バトラーは、それゆえにシカゴ出身と思われがち(今回の死亡報道では実際にそう書いているところも)だが、実際はミシシッピ州サンフラワー生まれ。3歳の頃に家族でシカゴに転居し、そこの教会でカーティス・メイフィールドに出会っている。58年にインプレッションズでデビュー。しかしバトラーはすぐにグループを抜け、ソロ活動へ。その黄金時代は60年代のマーキュリー時代と言っていいようで、最初にギャンブル&ハフと組んだ68年作『THE ICE MAN COMETH』はこの時期の代表作とされる。その後 迷いが出た時期もあったらしいが、78年にフィラデルフィア・インターナシュナルへ迎えられ、ギャンブル&ハフと再会セッション。それが上掲『NOTHING SAYS I LOVE YOU LIKE I LOVE YOU』だ。そしてその移籍前にモータウンに残したのが、テルマ・ヒューストンとの『THELMA & JERRY』『TWO TO ONE』の2枚。内容も単なる企画作以上で、ジェリーの実直な歌いっぷりがフィリー・インターへの橋渡し的役割を果たしている。
ジェリーの逝去は20日のこと。長くパーキンソン病を患っており、自宅で静かに息を引き取ったと伝えられている。享年85。
2人揃って、Rest in Peace...