billy joel_streetlife quadra

ビリー・ジョエルの74年3rdアルバム『STREETLIFE SERENADE』の50周年記念デラックス・エディション SA-CDマルチ4chハイブリッド盤を聴いた。74年リリースなので、正確には51年目だけど、まぁ、そこはご愛嬌というコトで。何より、当時のクアドラフォニック4chミックスを最新DSDマスタリングしたサラウンド・ミックスをdisc-1に、本作発表時のツアーから『LIVE AT THE GREAT AMERICAN MUSIC HALL 1975』の世界初CD化をdisc-2に収めた太っ腹な仕様が嬉しいし、シングル盤の各国ジャケットや日本盤LP発売時のブックレット、米国初盤時のメディア用プレスキットの各種復刻など、封入特典もかなり豪華。ノベルティにはほとんど動じない自分も、ありゃ コイツはスゴイなと、納得せずにはいられないような物量作戦で…。

そもそも、ビリー・ジョエルといえば『THE STRANGER』か『52ND STREET』と思っている自分。エンターテイナーに変身した『GLASS HOUSES』以降のビリーには一気に熱が冷める一方で、“ピアノ・マン”よろしく、ピアノ系シンガー・ソングライター色が濃厚だった初期ビリーは結構好きで。それでも最初に注目された『PIANO MAN』と『ニューヨーク物語(TURNSTILES)』の間に挟まれた『STREETLIFE SERENADE』は、ちょっと地味な存在。当時のUSコロムビアは、ビリーをジャクソン・ブラウン風に売り出したかったらしいが、そりゃ違うでしょ!と。でもそれは今だから言えること。デビューするためにL.A.に来たビリーは、ここいらで内に秘めた不満や葛藤を抑えきれなくなり、逃げるようにニューヨークへ帰還。結局そこで大ヒットへのキッカケを掴むことになる。『STREETLIFE SERENADE』は、そのL.A.制作での最終作でもあるのだ。

なので、それほど自分の耳に馴染んでいるアルバムとは言えない。それでもスターターであるタイトル曲のピアノのイントロを聴いただけで、「あっ、違う」と音の差を実感できる。音の深みや広がり、リヴァーヴ感が全然異なるのだ。これは『PIANO MAN』と違って、『STREETLIFE SERENADE』が比較的シンプルなバンド・サウンドで構成されていることと関係が深い。楽器が多ければ、楽器の定位でサラウンド感を創出できるが、楽器が少ない分、それをどう鳴らすかに掛かってくる。このアルバムでの基本構成は、全体のサウンドをフロントに定め、特にヴォーカルを強調。逆にリアは ほぼオケだけを割り振り、臨場感を演出している。だから音像がクッキリ浮かび上がり、背後に残響感が浮かび上がる。音の空間を生かしながら、それでいてギターのダビングなども生々しく。アレ!? こんな音入ってた?と思うような瞬間もあって、クアドラ仕様の効果は抜群だ。音数が多かったり、左右にパンするような派手なミックスだとサラウンド効果が得やすいけれど、音数が少ない時こそ、逆にミックスの丁寧さが問われる。これはまさにその答えのひとつと言えそうだ。

そして個人的に楽しみにしていたのが、当時のサンフランスコ公演の模様を捕らえた『LIVE AT THE GREAT AMERICAN MUSIC HALL 1975』だ。初出は21年に米英で発売された限定アナログ盤ボックス・セットの特典として発表されたもので、内5曲は昨年リリースの『PIANO MAN』デラックス・エディションに収録。それを聴いた自分はフル・ヴァージョンを聴きたくなって、サブスクにアップされていたフル尺版を喰らいつくように聴いた。今回そのフル・ヴァージョンが初めてCD化されたワケ。コレのためだけに高価なアナログ・ボックスなんて買えない、でもサブスクじゃ物足りない、という自分には、まさしく格好のリリースになった。ビリーのライヴはこの頃から既に定評があって、書き下ろしの新曲をライヴ録音してリリースする計画があったとか。このライヴ盤も、その一環としてのテスト・レコーディングだったのかもしれない。それでもキャパ500人足らずの小ホールでの貴重なライヴ・パフォーマンス、そのダイレクトな熱狂ぶりに驚かされる。スタジアムでのライヴが当たり前になったビリーにとって、この記録は掛けがえのない財産だろう。

昨年の東京ドームでの来日公演は、大枚を叩く価値が見出せずにスルーしてしまったけれど、こんなライヴだったら、倍の値段を出しても観てみたい。サスガにもうあり得んのだろうけど…

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