








また朝早い時間から、ソウル〜R&B方面からの訃報が相次いで。日本時間の深夜、自分的には朝起き抜けに飛び混んできたのが、ロバータ・フラックの訃報。24日、体調を崩して救急車で搬送中に心不全を起こし、車中で家族に見守られて息を引き取ったという。既に2022年に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症したことを発表していて、歌うことが困難になったため、実質的には引退状態だった。享年88。
ロバータ・フラックは米ノース・カロライナ州ブラック・マウンテン生まれ。実家は音楽一家で、幼少期からマヘリア・ジャクソンやサム・クックのゴスペルに親しんだ。9歳でピアノを始めたが、早くに母親を亡くし、教会でオルガンを弾いて稼ぐように。その一方、極めて頭脳明晰で、ワシントンD.C.にある全米屈指の名門黒人大学ハワード大学の奨学生に迎えられたのが15歳の時。クラシックやピアノ、声楽を学んで19歳で大学院に進学するも、今度は父親の死去で中退。音楽教師やナイトクラブでピアノ弾きながら、キャリアを積んだ。
ある時クラブでピアノを弾いているところをレス・マッキャンに認められ、69年にアルバム・デビュー。初期作品ではジャズ、R&B、ゴスペルのミクスチャーと、インテリらしいニュー・ソウル的スタンスを醸し出し、ニーナ・シモンに通じる味わいを打ち出した。72年<愛は面影の中に(The First Time Ever I Saw Your Face)>、73年<やさしく歌って(Killing Me Softly with His Song)>の連続ヒットで2年連続グラミー賞獲得。ダニー・ハサウェイやピーボ・ブライソンとのデュエット・アルバムも成功を収めた。
代表作というと、自ずと73年の『 KILLING ME SOFTLY』になってしまうが、どのアルバムのクオリティも安定していて、駄作は一切ナシ。個人的には渡辺貞夫『REDEZVOUS』(84年)へのゲスト参加も忘れがたい。
そして昼頃に入ってきた訃報が、元アイズレー・ブラザーズのクリス・ジャスパー。昨年12月に末期ガンと診断され、今月23日に逝去したと家族がSNSで伝えた。享年73。
クリストファー・ハワード・ジャスパーはオハイオ州シンシナティ生まれ。アイズレー家とは近所同士で、クリスの姉がアイズレー家に嫁いでいたという。クリスはニューヨークのジュリアード音楽院で作曲を学んだあと、ロングアイランド大学で作曲の学士号を取得。73年、10代の頃に一緒にバンドを組んでいたマーヴィン&アーニー・アイズレーと一緒にアイズレー・ブラザーズに加入。『3+3』でヴォーカル・トリオから6人編成のセルフ・コンテインド・グループへとドラスティックな変身に貢献し、80年代までグループのサウンドの大きな影響を及ぼした。
84年、アイズレーズ分裂に伴い、途中加入組のアーニー、マーヴィンと3人で新グループ:アイズレー・ジャスパー・アイズレーを結成。3枚のアルバム発表後、85年からソロ活動に転じ、自分のレーベルを拠点にソロ・アルバムを量産してきた。個人的には初期ソロまでしか聴いてなかったけれど、アイズレー本体には関わらず、ずーっ自分の活動を貫いていたのが印象的だった。
今回も、2人一緒に Rest in Peace...
ある時クラブでピアノを弾いているところをレス・マッキャンに認められ、69年にアルバム・デビュー。初期作品ではジャズ、R&B、ゴスペルのミクスチャーと、インテリらしいニュー・ソウル的スタンスを醸し出し、ニーナ・シモンに通じる味わいを打ち出した。72年<愛は面影の中に(The First Time Ever I Saw Your Face)>、73年<やさしく歌って(Killing Me Softly with His Song)>の連続ヒットで2年連続グラミー賞獲得。ダニー・ハサウェイやピーボ・ブライソンとのデュエット・アルバムも成功を収めた。
代表作というと、自ずと73年の『 KILLING ME SOFTLY』になってしまうが、どのアルバムのクオリティも安定していて、駄作は一切ナシ。個人的には渡辺貞夫『REDEZVOUS』(84年)へのゲスト参加も忘れがたい。
そして昼頃に入ってきた訃報が、元アイズレー・ブラザーズのクリス・ジャスパー。昨年12月に末期ガンと診断され、今月23日に逝去したと家族がSNSで伝えた。享年73。
クリストファー・ハワード・ジャスパーはオハイオ州シンシナティ生まれ。アイズレー家とは近所同士で、クリスの姉がアイズレー家に嫁いでいたという。クリスはニューヨークのジュリアード音楽院で作曲を学んだあと、ロングアイランド大学で作曲の学士号を取得。73年、10代の頃に一緒にバンドを組んでいたマーヴィン&アーニー・アイズレーと一緒にアイズレー・ブラザーズに加入。『3+3』でヴォーカル・トリオから6人編成のセルフ・コンテインド・グループへとドラスティックな変身に貢献し、80年代までグループのサウンドの大きな影響を及ぼした。
84年、アイズレーズ分裂に伴い、途中加入組のアーニー、マーヴィンと3人で新グループ:アイズレー・ジャスパー・アイズレーを結成。3枚のアルバム発表後、85年からソロ活動に転じ、自分のレーベルを拠点にソロ・アルバムを量産してきた。個人的には初期ソロまでしか聴いてなかったけれど、アイズレー本体には関わらず、ずーっ自分の活動を貫いていたのが印象的だった。
今回も、2人一緒に Rest in Peace...
個人的に好きなのは映画「ダーティハリー4」のエンディングテーマです。彼女は歌唱のみですがサントラCDに未収です。
クリス・ジャスパーはグループへの貢献度は高かったと思うのですが。せめて生前に関係修復出来ていることを願うばかりです。