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訃報の連鎖が止みません。今日も朝から2件立て続けに。そして1月末に逝ってしまった偉大な業界人の訃報も公開され…。この方の逝去は直後にある筋からもたらされていたが、親族からお知らせがあるまで公表しないで、とのことでした。

朝、起き抜けに知ったのは、元ニューヨーク・ドールズの看板シンガー、デヴィッド・ヨハンセン逝去の報。ヨハンセンは10年前に末期ガンと診断され、5年前には脳腫瘍も発症。長く闘病生活を送っていたところ、昨年11月に自宅で転倒。背骨を骨折して寝たきりに。そして2月28日にニューヨーク州スタテンアイランドの生家で息を引き取った。享年75。

バスター・ポインデクスターという伊達なジャズ・シンガーの顔もあったヨハンセンだが、基本はやはり、グラムな出で立ちでローリング・ストーンズみたいなR&Bスタイルのロックン・ロールをやっていたニューヨーク・ドールズ。73年デビュー、76年解散と活動期間が短く、商業的成功も収められなかったが、持ち前のワイルドな行動、お騒がせなキャラクターから元祖パンク・ロック・バンドとして再評価され、04年に再結成。しかし主要メンバーは何故かみんな早世で、ヨハンセンは最後の生き残りだった。デビュー・アルバムのプロデューサーは、ちょうど来日公演中のトッド・ラングレン。

次いで飛び込んできたのは、R&Bシンガー:アンジー・ストーン(本名アンジェラ・ラヴァーン・ストーン)交通事故死の知らせだ。3月1日早朝、アラバマ州モンゴメリーのライヴ会場からアトランタに戻る途中、移動のために乗っていた車が横転。後続の大型トラックに衝突されたらしい。スタッフも同乗していたが、亡くなったのはアンジーだけだったという。享年63。

アンジーが世に出たのは、シュガー・ヒルから80年にデビューした女性3人組のザ・シークエンス。でも自分的には後追いで、93年デビューのヴァーティカル・ホールドの方が印象深い。しかしこのグループはアルバム2枚で解散。その後ディアンジェロの1stアルバム『Brown Sugar』に参加し、彼の人気と共にアンジーへの評価が高まり、99年になってソロ・デビュー。レジェンダリーな存在へと歩みを進めていた。

そしてこのタイミングで公表されたのが、日本のフュージョン・シーン黎明期を影から支えた名プロデューサー、川島重行氏の訃報。キング・レコードに専門レーベル;エレクトリック・エレクトリック・バードを立ち上げ、ハウス・プロデューサーとして活躍。増尾好秋、清水靖晃、本多俊之、大野俊三、益田幹夫、向谷実などの名盤を続々生み出した。それだけでなく、海外ミュージシャンの国内制作を大胆に進め、スティーヴ・ガッド、リチャード・ティー、ギル・エヴァンス、ディジー・ガレスピー、ミシェル・カミロ、フューズ・ワン、デヴィッド・ベノワなど、日本発の好作品を数多く送り出している。とりわけデヴィッド・マシューズとの関係は深く、彼が率いるマンハッタン・ジャズ・クインテットはその大きな成果といえる。自分的には、この川島氏のプロデュース・ワークスにはとてもとてもお世話になった。

ちなみに、筆者とクニモンド瀧口クンとで、3年前にエレクトリック・バードをテーマにした対談を行なっていて、そこでも川島氏のお仕事について触れていたので、ご参考まで。
https://news.kingrecords.co.jp/2022/11/7906/

ジャンルもお国も全然違う御三方だけれど、それぞれに哀悼の意を込めて Rest in Peace...