



既に御存知の方も多いと思うが、バッドフィンガー最後の生き残りだったジョーイ・モーランド(g)が、米国時間3月1日深夜、家族に見守られて息を引き取った。近親者によると、昨年秋から体調を崩していて、糖尿病を原因とする重度の感染症や敗血症、肺炎などを併発していたという。享年77。
ビートルズの弟分として知られ、アップルからデビューしたバッドフィンガー。その2作目『NO DICE』からグループに参加したのが、リヴァプール生まれのジョーイ・モーランドことジョセフ・チャールズ・モーランドだ。
地元のビート・グループを転々としていたジョーイは、68年に元ウォーカー・ブラザーズのゲイリー・ウォーカー&ザ・レインに加入。来日公演などをこなした後、70年に病気休養となったロン・グリフィスの後任としてバッドフィンガーへ迎えられた。最初のアルバムは、ニルソンやマライア・キャリーで知られる<Without You>のオリジナルや、ヒット曲<No Matter What>を含む好盤『NO DICE』。ジョーイも新加入ながら4曲の曲作りに関わり、後にパワー・ポップと呼ばれるギター・サウンドの構築に大きく貢献した。またレコーディング中には、メンバー全員でジョージ・ハリスンの『ALL THINGS MUST PASS』のレコーディングにも参加している。
しかし71年の年明けにレコーディングした次作は、アップルの意向でリリース却下。そこでジョージのバックアップで新たにセッションを開始した。ところが、今度はジョージが急遽『バングラデシュ難民救済コンサート』を開催することになり、レコーディングは中断。バッドフィンガーもこれに参加したものの、当初予定されていた彼らの出演コーナーは端折られ、バックアップでの参加に止まっている。それでもレコーディングはトッド・ラングレンに引き継がれ、代表作『STRAIGHT UP』が完成した。
しかし彼らの悲劇は止まらない。4作目『ASS』もアップルに拒否られ、ワーナーへ移籍して2作。出来は悪くなかったのにセールスは惨敗で、以前からくすぶっていたマネージャーのギャラ搾取も発覚。嫌気が差したジョーイが74年末に脱退したあと、新編成で制作された『HEAD FIRST』もお蔵入りし(2000年発掘)、75年のピート・ハム自殺をもって活動にピリオドを打っている。
一方バッドフィンガーを抜けたジョーイは、コロシアム〜ユーライア・ヒープ〜テンペストを渡り歩いたマーク・クラーク (b,vo)、元ハンブル・パイのジェリー・シャーレー (ds) に、サザーランド・ブラザーズ&クイヴァーやアル・スチュワートをサポートしていたピーター・ウッド (kyd) の4人で、言わばスーパー・グループ:ナチュラル・ガスを結成。鳴り物入りでデビューするも、これはアルバム1枚で瓦解した(アルバム紹介はこちらから)。その後78年にはオリジナル・メンバーのトム・エヴァンスとバッドフィンガーを再結成し、アルウバム2作を発表。これには元イエスのトニー・ケイも絡んでいたが、81年には2人が袂を分かち、それぞれにバッドフィンガーを名乗る事態に陥った。が、83年11月にエヴァンスが自死。この時期に制作されたジョーイの初ソロが、上掲『AFTER THE PEARL』になる。更に90年代に入って数枚のソロ作発表。20年に出した 『BE TRUE TO YOURSELF』は、マーク・ハドソン制作でなかなか聴かせてくれた(詳細コチラ)。
それにしてもトッド・ラングレンは今回の来日中に、ジョーイ、デヴィッド・ヨハンセンと、2人もプロデュースを手掛けたお仲間ミュージシャンを失ってしまったことになる。こりゃあショックがデカイだろうな…。そういやバッドフィンガーも、中核ピート・ハム在籍時のラスト・アルバム『HEAD FIRST』が、オリジナル・マルチ・トラック発掘によって50周年盤として再復活したばかり。自分は00年盤を持っているのでスルーするつもりだったが、これは香典代わりにゲットするしかないかなぁ…。
何れにせよ、これで誰もいなくなった状態となるバッドフィンガー。最後まで頑張ったジョーイ・モーランドに、Rest in Peace。
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しかし71年の年明けにレコーディングした次作は、アップルの意向でリリース却下。そこでジョージのバックアップで新たにセッションを開始した。ところが、今度はジョージが急遽『バングラデシュ難民救済コンサート』を開催することになり、レコーディングは中断。バッドフィンガーもこれに参加したものの、当初予定されていた彼らの出演コーナーは端折られ、バックアップでの参加に止まっている。それでもレコーディングはトッド・ラングレンに引き継がれ、代表作『STRAIGHT UP』が完成した。
しかし彼らの悲劇は止まらない。4作目『ASS』もアップルに拒否られ、ワーナーへ移籍して2作。出来は悪くなかったのにセールスは惨敗で、以前からくすぶっていたマネージャーのギャラ搾取も発覚。嫌気が差したジョーイが74年末に脱退したあと、新編成で制作された『HEAD FIRST』もお蔵入りし(2000年発掘)、75年のピート・ハム自殺をもって活動にピリオドを打っている。
一方バッドフィンガーを抜けたジョーイは、コロシアム〜ユーライア・ヒープ〜テンペストを渡り歩いたマーク・クラーク (b,vo)、元ハンブル・パイのジェリー・シャーレー (ds) に、サザーランド・ブラザーズ&クイヴァーやアル・スチュワートをサポートしていたピーター・ウッド (kyd) の4人で、言わばスーパー・グループ:ナチュラル・ガスを結成。鳴り物入りでデビューするも、これはアルバム1枚で瓦解した(アルバム紹介はこちらから)。その後78年にはオリジナル・メンバーのトム・エヴァンスとバッドフィンガーを再結成し、アルウバム2作を発表。これには元イエスのトニー・ケイも絡んでいたが、81年には2人が袂を分かち、それぞれにバッドフィンガーを名乗る事態に陥った。が、83年11月にエヴァンスが自死。この時期に制作されたジョーイの初ソロが、上掲『AFTER THE PEARL』になる。更に90年代に入って数枚のソロ作発表。20年に出した 『BE TRUE TO YOURSELF』は、マーク・ハドソン制作でなかなか聴かせてくれた(詳細コチラ)。
それにしてもトッド・ラングレンは今回の来日中に、ジョーイ、デヴィッド・ヨハンセンと、2人もプロデュースを手掛けたお仲間ミュージシャンを失ってしまったことになる。こりゃあショックがデカイだろうな…。そういやバッドフィンガーも、中核ピート・ハム在籍時のラスト・アルバム『HEAD FIRST』が、オリジナル・マルチ・トラック発掘によって50周年盤として再復活したばかり。自分は00年盤を持っているのでスルーするつもりだったが、これは香典代わりにゲットするしかないかなぁ…。
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昨年公開された「ゴジラxコング 新たなる帝国」で、最後のエンドロール前に流れてきた『Day After Day』を突然耳にして、そのシーンの雰囲気に嵌っていたからでしょうか、妙にほっこりとした気分になったことがついこの間のようです。