








ホントにホント、訃報、訃報、また訃報。今日はジャズ・ファンクの伝説的ヴィブラフォン奏者ロイ・エアーズが旅立った、というお知らせが。3月4日、ニューヨークで死去。ここしばらく闘病生活を送っていたそうだ。享年84。
L.A.出身。音楽一家に育ち、5歳の時、ライオネル・ハンプトンにマレットをプレゼントされ、プロのヴィブラフォン奏者を目指した。デクスター・ゴードンなどを輩出したトーマス・ジェファーソン高校に学び、当時から聖歌隊で歌ったり、ラテン・ジャズ・バンドでピアノやスチール・ギターを弾いていたという。62年に初レコーディング。翌年サックス奏者カーティス・エイミーとの共演盤で正式デビューし、大学中退後の66年、ジャズ・フルート奏者ハービー・マンのグループに加入して名を上げた。
60年代はアトランティックに在籍し、リーダー・アルバムを3作。70年にポリドールへ移籍すると、ユビキティを率いて量産体制に入り、時代の音に呼応しながら大活躍。73年には、パム・グリア主演のブラック・ムーヴィー『コフィー』のサウンドトラックを制作している。プレイヤーとしてだけでなく、プロデューサーとしても、RAMP、エイティーズ・レディーズ、シルヴィア・ストリプリンらを手掛け、80年代初頭は自身のレーベル:Uno Melodic を運営した時期もあった。
スタンリー・クラークやエムトゥーメイと手を組んだり、ウェイン・ヘンダーソン(元クルセイダーズ)との共演作を出したりと、ブラック・コンテンポラリー寄りのファンキー・フュージョン路線を敷いた時期もあったが、80年代半ばあたりから一時低迷。しかし90年代に入ってレア・グルーヴ/クラブ・シーンで再評価が始まり、多くの楽曲がサンプリング・ソースとして使い回され、ジャズ・ファンクのパイオニアとしての地位を確立した。最後のオリジナル・アルバムは、04年作『MAHOGANY VIBE』。そういえば自分、再発CDのライナーノーツも何本か書かせてもらったなぁ。実はジミー・ハスリップ (b) やリッキー・ローソン (ds), エドウィン・バードソング (kyd), ハリー・ウィタカー (kyd), フスト・アルマリオ (sax), フィリップ・ウー (kyd) など若手ミュージシャンの発掘・育成にも長けた人であった。
個人的には、ロイのライヴはずいぶん前のマウント・フジ・ジャズ・フェスティヴァルや、2016年のユビクティ結成45周年@Blue Note Tokyo など、3〜4回観ている。中でも一番印象的だったのは、ロニー・リストン・スミスと一緒に来た06年@Blue Note Tokyo。年齢の割に結構脂っこいパフォーマンスを観せてくれた記憶があるが、しばらく患っていたとは…。
Rest in Peace...
60年代はアトランティックに在籍し、リーダー・アルバムを3作。70年にポリドールへ移籍すると、ユビキティを率いて量産体制に入り、時代の音に呼応しながら大活躍。73年には、パム・グリア主演のブラック・ムーヴィー『コフィー』のサウンドトラックを制作している。プレイヤーとしてだけでなく、プロデューサーとしても、RAMP、エイティーズ・レディーズ、シルヴィア・ストリプリンらを手掛け、80年代初頭は自身のレーベル:Uno Melodic を運営した時期もあった。
スタンリー・クラークやエムトゥーメイと手を組んだり、ウェイン・ヘンダーソン(元クルセイダーズ)との共演作を出したりと、ブラック・コンテンポラリー寄りのファンキー・フュージョン路線を敷いた時期もあったが、80年代半ばあたりから一時低迷。しかし90年代に入ってレア・グルーヴ/クラブ・シーンで再評価が始まり、多くの楽曲がサンプリング・ソースとして使い回され、ジャズ・ファンクのパイオニアとしての地位を確立した。最後のオリジナル・アルバムは、04年作『MAHOGANY VIBE』。そういえば自分、再発CDのライナーノーツも何本か書かせてもらったなぁ。実はジミー・ハスリップ (b) やリッキー・ローソン (ds), エドウィン・バードソング (kyd), ハリー・ウィタカー (kyd), フスト・アルマリオ (sax), フィリップ・ウー (kyd) など若手ミュージシャンの発掘・育成にも長けた人であった。
個人的には、ロイのライヴはずいぶん前のマウント・フジ・ジャズ・フェスティヴァルや、2016年のユビクティ結成45周年@Blue Note Tokyo など、3〜4回観ている。中でも一番印象的だったのは、ロニー・リストン・スミスと一緒に来た06年@Blue Note Tokyo。年齢の割に結構脂っこいパフォーマンスを観せてくれた記憶があるが、しばらく患っていたとは…。
Rest in Peace...