brooklyn dreams 4

ジョー・ビーン・エスポジト、エディ・ホーケンソン、ブルース・スダーノの3人から成る白人R&Bヴォーカル・グループ:ブルックリン・ドリームスの4作目『WON'T LET GO』が、韓国 Big Tree から待望の世界初CD化。その国内仕様盤が流通し始めた。前3作は各国で既にCD再発されているので、これで一応彼らの全4作が、すべて銀盤化されたことになる。シッカリと国内盤紙ジャケットで出たのは、一般的に代表作とされる2nd『SLEEPLESS NIGHT』だけだけど…。

メンバー3人は、ニューヨークはブルックリンで生まれ育った幼馴染み同士で、若い頃から付かず離れずで活動。最終的にはジョー・エスポジトとエディ・ホーケンソンが一緒に歌っていたところに、ブルース・スダーノが割り込むような形で、L.A.で新グループを立ち上げるに至る。その背景にはカサブランカ・レコードの女性上役の助言があったそうだが、彼女もまたニューヨーク育ちで、ティーンエイジャーの頃から彼らを知っていたそうだ。

77年のデビューは、スリー・ドッグ・ナイトやラズベリーズのプロデューサーとして名高いジミー・イエナーがカサブサンカ傘下に興したミレミアム・レーベルから。続いてドナ・サマーのツアーにコーラス隊として参加し、共演シングル<Heaven Knows>を発表。これが翌79年に全米4位の大ヒットになり、それをフィーチャーする形で(実はリード・パートを入れ替えたヴァージョン違い)、続く2nd『SLEEPLESS NIGHT』がカサブランカ本体からリリースされた。両者の関係はその後も続き、3人はドナの新作『BAD GIRLS』に参加、タイトル曲の5週連続全米No.1に大きく貢献した。ドナと恋仲になったブルースは80年に彼女と結婚し、2012年の逝去まで添い遂げている。

ただし79年のブルックリン・ドリームス3作目『JOY RIDE』は、ドナのディスコ・サウンドに接近しすぎたのだろう、内容も反響も芳しくなく、次作はセルフ・プロデュースで、彼ららしいポップなシティ・ソウル・スタイルを目指すことに。それがこのアルバムになった。3人と一緒にアレンジを手掛けたのは、ギタリストのスナッフィ・ウォルデン。ジョルジオ・モロダー一派のキース・フォーシーの名があるほか、キーボードでニッキー・ホプキンス、かつて3人がセッション・サポートしたことがあるボビー・ウーマックがギターを弾いていたりする。

80年発表というコトで、音の指向は80年代らしいAORサウンドに接近しているが、実際の収録曲は出来不出来の差が大きく…。マイケル・マクドナルド・マナーに則った実質的タイトル曲<I Won't Let Go>はズバリ名曲で、筆者が25年前()に初めて監修・選曲した『Light Mellow AOR -GROOVIN’&BREEZIN’- Universal Edition』にセレクトしたほど。畳み掛けるような<Heartbreaker-Breakaway>、ちょっとビリー・ジョエルっぽい<Spinnin'>、ブルース作のバラード<Beautiful Dreamer>、メロウ・ミディアム<Fallin' In Love>など好曲がいくつかある一方、彼らに不釣り合いな商業ロック寄りのナンバーも入っている。きっと初のセルフ・プロデュースで、迷っちゃたんだろうなぁ。もったいナイ。

しかもココへ来て、所属するカサブランカが経営難に陥って、アルバムはまったくプロモートされずに終わった。ドナはゲフィンへ移籍し、彼らは解散。81年にソロ作を出したブルース、サントラ盤の『ZAPPED!』『FLASHDANCE』に参加したジョーと、それぞれ別の道を進んだ後、87年には再び手を組み、“ジョー, ブルース&セカンド・アヴェニュー”名義でアルバムを発表している。一度音沙汰が途絶えたエディ・ホーケンソンも、セッション活動を続けていたようで、92年にはジョーと連れ立ってケニー・ヴァンス&ザ・プラノトーンズに参加した。

コンピにセレクトしてからオリジナル・アルバムのCD化まで、実に25年。でも同じコンピ盤には、まだラニ・ホール<To Know>とか、ピーター・プリングルに拠る<Living It Up>とか、未だ再発ならずの楽曲があるんだよなぁ…。ラニ作品は夫君ハーブ・アルパートの作品と共に、夫妻が既にA&Mから権利を引き上げちゃったようだけど。

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2025-03-26


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