





ソロ・シンガーとして、また77年からはスピナーズのリード・シンガーとして活躍したジョン・エドワーズが、11日に亡くなった。享年80。死因は現時点で明らかにされていない。サム・クックのフォロワーとしてソウル・ファンの間で絶大な人気を誇り、ソロ活動の後、33歳でフィリップ・ウィンの後任としてスピナーズに加入。2000年までリード・シンガーを務めたが、脳梗塞で事実上の引退。ここ数年は車椅子生活を送っていたらしい。
ジョン・エドワーズことジョナサン・エドワーズは、1944年ミズーリ州セントルイス生まれ。従軍していた時にドイツで歌い始め、除隊後にシカゴで活動を本格化。カーティス・メイフィールドのバックアップを受けたりして、69年からローカル・レーベルでシングルをリリース。ベル・レコードを経て、アトランタのAwareと契約。73年に1stアルバム『JOHN EDWARDS』を出し、サム・ディーズの楽曲やウィルソン・ピケットのカヴァーで大評判を取った。76年の2nd『LIFE, LOVE AND LIVING』はワーナー傘下のコティリオン発で、デヴィッド・ポーターのプロデュースに拠るマッスル・ショールズ&マラコ録音。A/B面をそれぞれアップとミディアム中心、スロウとバラード中心に振り分け、ジョンのシャウターとしての側面と、サム・クック・フォロワーである両面を自然に表現している。バリー・マン=シンシア・ワイルのバラード<Nobody, But You>は、ライチャス・ブラザーズ、ジャッキー・ウィルソン、グラディス・ナイト&ザ・ポップスも歌っていた。
そんなジョンにスピナーズから声が掛かったのは、77年のこと。同年作『 SPINNERS 8』を皮切りに、10枚ほどのアルバムでメイン・ヴォーカルの重責を担っている。時代の趨勢に押されてソウル系ヴォーカル・グループが苦戦した時期だが、マイケル・ゼイガー制作でジョンの魅力が引き出された80年の『LOVE TRIPPIN'』、ジェイムス・エムトゥーメイ&レジー・ルーカスと手を組んだ81年作『CAN'T SHAKE THIS FEELIN'』といった好盤も。個人的には、一番スピナーズを聴いていた時期に新作として登場した『GRAND SLAM』(82年/フレディ・ペレン制作)、打ち込み全盛期の89年にVOLTと契約して気骨を示した『DOWN TO BISINESS』も印象に残っているな。この89年作には、超意外なコトに、ジェイ・グレイドン/リチャード・ペイジ/ジョン・ベティスの共作曲が入っていたりするけど、サスガに歌っているのはジョンではなかったような…。
近年、新メンバーで勢力的に活動し、リリースもあるスピナーズ。けれどジョンの逝去で、全盛期のメンバーはみんな鬼籍に入ってしまったようだ。
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