john paul young

「どっひゃぁ〜、コレって マイケル・センベロの<Maniac>(83年/全米No.1)ぢゃん」
そんな<War Games>でスタートする、ジョン・ポール・ヤングの83年作『ONE FOOT IN FRONT』。しかも作曲はマーク・ジョーダンと、その頃しばしばコンビを組んでいたジョン・ケイペックの2人。改めて確認すれば、他にも<System Overload><Soldier Of Fortune><Body Heat><Television Girl>と、合計5曲がマークとジョン・ケイペックの提供である。もちろん<Soldier Of Fortune>は、マンハッタン・トランスファー『BODIES AND SOULS(邦題:アメリカン・ポップ)』に提供したもの。しかも本作『ONE FOOT IN FRONT』は、初回リリース時は<Soldier Of Fortune>をアルバム・タイトルに掲げていた、という意味不明な経緯もある。このレア盤が、前ポストで紹介したラッセル・ヒッチコック(エア・サプライ)の2ndと同時復刻。直輸入国内仕様盤の解説は、筆者が書かせていただいている。

このジョン・ポール・ヤングは、スコットランドのグラスゴー生まれ、オーストラリアのシドニー育ちというシンガー。豪州でのデビューは70年と早いが、なかなか芽が出ず、75年になって<Yesterday's Hero>が全豪トップ10入り。全米でも42位の世界的ヒットになった。77年には<Standing in the Rain>も欧州各地でヒット。その勢いで発表されたのが<Love Is In The Air(風に舞う恋)>で、78年に全米7位をマーク、全豪・全英ではトップ5入りの成功を収めている。だが通算5作目『HEAVEN SENT』は、ディスコに寄ってヒットを狙いすぎたか、豪のみの発売に止まって大不発。苦し紛れに出した60年代ポップスのカヴァー集『THE SINGER』は、その低迷に拍車を掛けた。

そこで心機一転、クラウス・シュルツェ(タンジェリン・ドリーム、アシュ・ラ・テンペル他)が設立したI.C.レコードへ移籍し、エレクトリックなポップ・スタイルに挑戦。それがこの『SOLDIER OF FORTUNE』である。どういう経緯でマークやケイペックが手掛けることになったのかは不明だが、ケイペックがプラハ生まれのオーストラリア育ちで、現地ミュージック・シーンと繋がりを持っていたようだ。73年からカナダのトロントで活動を始めたケイペックは、イアン・トーマスやダン・ヒル、ロニー・エイブラムソン、バット・マグラス、デヴィッド・マクラスキーらのアルバムに参加し、トーマスの紹介で親しくなったマークとチームを組むことが増えていた。ダイアナ・ロスの83年作『ROSS』に書いた<Pieces Of Ice>、マンハッタン・トランスファー『BODIES AND SOULS』に提供した<Soldier Of Fortune>を含む3曲は、その一端である。

音的には、ケイペックを中心とする打ち込みで作られ、アトランティックやレイクに在籍したアレックス・コンティ(g)、長年ルネ・ゲイヤーのギタリストを務めたマーク・パンチ、そしてビー・ジーズの編曲で有名なビル・シェパードがホーン・アレンジで参加。バック・ヴォーカルには、佐藤博の82年シティポップ名盤『awakening』で数曲フィーチャーされた美声の持ち主ウェンディ・マシューズが参加している。実は彼女もオーストラリアの血筋を引くカナダ人。またマーク提供の中の1曲<Body Heat>は、マークとケイペック、それに元クラッキンのレスリー・スミスの共作。更に5曲あるボーナス曲のうち<Down On Down On Down>は、リトル・リヴァー・バンドのビーブ・バートルズのペンに拠る。

ジョン・ポール・ヤングのこの突然の変節は、もしかしたらマークやケイペックにとって、その後の自分たちの方向性を見定めるテストケースだったのかもしれない。年が変わると、イエス<Owner Of A Lonely Heart>が全米首位。Mr.ミスターのデビューも同じ84年。マークは83年に日本制作のピュアなAORアルバム『A HOLE IN THE WALL(愛のマルガリータ)』を出したばかりだったが、全米規模のメジャー契約を失ない、今後の方向性を模索していたのではないか。ダイアナやマントラに書いた楽曲にはそれが現れているし、RCAにメジャー復帰しての『TALKING THROUGH PICTURES』(87年)は、AORファンがアッと驚くニューウェイヴ仕様のポップ・ロック。そしてそのブレーンには、Mr.ミスターやイエスをブレイクさせた面々が絡んでいた。

マークとケイペックが共作した最大のヒット曲は、91年に全米5位を記録したロッド・スチュワート<Rhythm Of My Heart>。でもこれは元々、84年頃に書いていたらしい。しかもプロデュースは元イエスのトレヴァー・ホーン。こうしたサクセス・ストーリーのプロトタイプが、このジョン・ポール・ヤングの83年作だったかも、と分かると、その存在価値がグゥ〜ンと高まってくるのである。

john paul youngTower Records で購入