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うぅ〜、なんて日だ…
スティーヴ・クロッパーの訃報記事を書いていたら、それを追うように、またしてもソウル・ジャズ系の職人セッション・ギタリストの死亡情報がっ…。フィル・アップチャーチ、ジョージ・ベンソンやダニー・ハサウェイ、カーティス・メイフィールドらを支えた名脇役。彼は既に11月23日、L.A.の地で死出の旅へと発ってしまったそうで、その情報が今になって届いたカタチ。原因は不明ながら、彼もまたクロッパーと同じ84歳での逝去だった。フィリップ・アップチャーチは1941年7月、シカゴ生まれ。幼少期から音楽に親しみ、10歳でウクレレ、13歳でギターを手に。ハイスクールの頃からR&Bバンドを組んで地元クラブでプレイし、オーティス・ラッシュのグループにベースで参加。卒業後にセッション活動をスタートさせた。61年に、ディー・クラーク・バンドに書いた<You Can’t Sit Down Part2>を自らレコーディングしたところ、思いがけず全米29位のヒットに。その勢いで本格的にソロ活動を始めるも、60年代半ばは兵役に取られ、シカゴへ戻ってからブルース/R&Bの名門である地元レーベル:チェス専属に。ラムゼイ・ルイスやジャック・マクダフ、リチャード・グルーヴ・ホームズ、マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフらと共演した他、ステイプル・シンガーズ、スタン・ゲッツ、カーティス・メイフィールドら、チェス以外の仕事も多く引き受けた。中でもダニー・ハサウェイの名盤『LIVE』への参加は富に有名である。
ソロ・アルバムは20枚越えだけれど、代表作とされる『DARKNESS, DARKNESS』(72年)は、名プロデューサー:トミー・リピューマが手掛け、ジョー・サンプル、ダニー・ハサウェイ、ベン・シドラン、チャック・レイニー、ハーヴィー・メイスン、ニック・デカロら、リピューマ人脈総動員。収録曲にも、ジェイムス・テイラーやキャロル・キング、ヤングブラッズ、ジェイムス・ブラウン、マーヴィン・ゲイなどの好カヴァーが並ぶ。そして74年になると、ジョージ・ベンソン・バンドに加入。彼らは62年頃からの旧友同士で、フィルがジャック・マクダフ・グループのライヴを観に行ったところ、若いギタリストが<You Can’t Sit Down Part2>をレパートリーにしていたので、思わず声を掛けたとか。そのギター弾きがま、だ19歳のベンソンだった。
ベンソン・バンド参加でCTIとの縁が生まれ、早速ボブ・ジェームス編曲『UPCHURCH / TENNYSON』(75年) を制作。すると今度はベンソンが、ワーナーに入社したリピューマに引っ張られ、『BREEZIN’』(76年) に参加。リピューマはフィルに全幅の信頼を寄せ、リズム・ギターとベース、そしてオリジナル曲<Six to Four>を提供した。フィルとベンソンの蜜月は、その後81年頃まで続く。
フィルはその頃からL.A.に住まいを移し、マイペースの活動に。それでもフィルのプレイは他の黒人セッション・ギタリストに比べ、ジャズ色もブルース色も濾過が進んでいて。だからクセが少なくて、フレキシブルかつ、よりスムーズ。それでいて、ソフトながらも黒人ならではのソウルネスやファンキー・フレイヴァーは失くさない。その辺りの塩梅が絶妙でキモチ良いのよ、このヒトは。
最近は自伝を書いていたというアップチャーチ。Rest in Peace...
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《Tower Records はココから》
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ベンソン・バンド参加でCTIとの縁が生まれ、早速ボブ・ジェームス編曲『UPCHURCH / TENNYSON』(75年) を制作。すると今度はベンソンが、ワーナーに入社したリピューマに引っ張られ、『BREEZIN’』(76年) に参加。リピューマはフィルに全幅の信頼を寄せ、リズム・ギターとベース、そしてオリジナル曲<Six to Four>を提供した。フィルとベンソンの蜜月は、その後81年頃まで続く。
フィルはその頃からL.A.に住まいを移し、マイペースの活動に。それでもフィルのプレイは他の黒人セッション・ギタリストに比べ、ジャズ色もブルース色も濾過が進んでいて。だからクセが少なくて、フレキシブルかつ、よりスムーズ。それでいて、ソフトながらも黒人ならではのソウルネスやファンキー・フレイヴァーは失くさない。その辺りの塩梅が絶妙でキモチ良いのよ、このヒトは。
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本場本流のクロスオーバー系のレジェンドたちの相次ぐ訃報。
シティポップの再燃が大きくなっていた時に
大瀧詠一が亡くなった時を何となく思い出す。
気づいた時には遅いもの。