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ウワッ、ジャズ・ヴァイオリン奏者マイケル(ミハウ)・ウルバニアクが、20日に亡くなっていた。死因は不明、享年82。東欧ポーランドの出身で、ちょっと個性的な芸風が持ち味で。そもそもこの人、フュージョン黎明期のアーティストがジャズとロック、ジャズとファンクの融合に躍起になっていた時期に、逸早くジャズとクラシックのミクスチャーを目指した人で…。全米デビューとなった74年作のタイトルは、ズバリ『FUSION』。この時結成したグループも、マイケル・ウルバニアク・フュージョンと名乗った。ジェフ・ローバー・フュージョンが登場する3年前のことである。

ウルバニアクは 音楽のユニークさに負けないくらい、独特な存在感を放ったヒトで。“ニューヨークで良いミュージシャンを探すなら、まずジャマイカ・クイーンズへ行け”と、クロスオーヴァー/フュージョン・シーンの眼を、いち早くそこへ向かさせたのがこの人だ。現地ではウェルドン・アーヴィンを親玉にして、その下にレニー・ホワイト、トム・ブラウン、マーカス・ミラー、ドン・ブラックマン、バーナード・ライトなど、のちの大物ミュージシャンが育っていた。マーカスやバディ、ヨギ・ホートン (ds)、ドク・パウエル (g)、バリー・イーストモンド (kyd)など、後のルーサー・ヴァンドロスのブレーンを、80年作『SERENADE FOR THE CITY』で真っ先に起用。スティングやマルサリス兄弟、渡辺香津美らとの共演で名を上げるピアノのケニー・カークランドをいの一番に重用したのも、このウルバニアクだった。

ちょっと不思議なジャズ・シンガー:ウルスラ・ドゥジアックは、ウルバニアクの当時の奥様。クラブ方面で静かに再評価が進んでいたけれど、この人ももっと注目されていい。

最近は表立ったニュースは途絶えていたが、マイペースで演奏活動を続けていたようだ。

Rest in Peace...