












レゲエ界のレジェンド・ドラマー、スライ・ダンバーが26日に死去。ベースのロビー・シェイクスピアとのリズム・コンビ:スライ&ロビーとして、ジャマイカのレゲエ・シーンで台頭。72年に知り合ってチームで活動を始めた彼らは、80年代に入る頃からレゲエ・シーンを飛び出して世界的に活躍。ボブ・ディラン、ローリング・ストーンズ、ミック・ジャガー、グレイス・ジョーンズ、ジョー・コッカー、セルジュ・ゲンズブールなどと共演し、日本でも最先端のリズム・セクションとして引っ張りだことなった。彼らが携わった楽曲は、およそ20万曲にも及ぶと言われている。スライの訃報は奥様によってもたらされ、死因は明らかにされていないものの、数か月前から体調を崩していたらしく、その日の朝、亡くなっているのが発見されたそうだ。享年73。
スライことローウェル・フィルモア・ダンバーは1952年、ジャマイカのキングストン生まれ。15歳からバンドで演奏を始め、69年にリー・ペリー&ジ・アップセッターズで初のレコーディング・セッションを経験。ロビー・シェクスピアとコンビを組んでからは、ピーター・トッシュ、デニス・ブラウンといったレゲエ界の重要アーティストと共演を重ね、また彼らが本拠とするスタジオ:チャンネル・ワンのハウス・バンド、レヴォリューショナリーズとしても活躍した。
そのトッシュがローリング・ストーンズのワールド・ツアーでオープニング・アクトを務めたことから、ミック・ジャガーやキース・リチャーズとの交流が生まれ、そこから人脈が拡大し、やがて世界的注目を集めるように。しかも単なるリズム・セクションとしてではなく、プロデュース・チームとしても活躍。ブラック・ウフルやマキシ・プリーストのようなレゲエ・スターを筆頭に、ボブ・ディラン、ジョー・コッカー、グレース・ジョーンズ、更にセルジュ・ゲンズブール、ジャクソン・ブラウン、オノ・ヨーコ、カーリー・サイモン、マドンナ、スティング、シンプリー・レッド、シネイド・オコナー、イアン・デュリーなどとも共演した。個人的に忘れられないのは、ニューヨークのセッション・シンガー:グウェン・ガスリーの 1stソロ(82年)。クインシー・ジョーンズとも共演している実力派ヴォーカリストゆえ、ブラック・コンテンポラリーなアルバムを作るのが普通だ。でも彼女はナンとスライ&ロビーにプロデュースを仰ぎ、ヒリヒリするような緊張感溢れるハイブリッド・ファンク・アルバムを完成させた。アレは素晴らしかったなぁ〜。
また日本では、パーカッション奏者ペッカーのジャマイカ・セッションに参加。チャンネル・ワンでレコーディングされた、日本初のダブ・アルバムと言われる『PECKER POWER』(80年)に大貢献している。その後も渡辺香津美や坂本龍一のアルバムに参加。香津美のニューヨーク録音作『MOBO』では、まだフュージョン系セッション・ドラマーのイメージが強かったスティーヴ・ジョーダンが、飛行機に乗り遅れて初日セッションに参加できなくなったスライのトラでロビーと組むナンバーも。コレ、最初はリズム・ボックスでトライしたそうだが上手くいかず、夜になって急遽スティーヴ・ジョーダンにコンタクト。彼ははじめ「もう酒 飲んじゃったよォ〜」と参加を渋っていたらしいが、ベースがロビーだと聞くと、ホンの5分ほどで飛んできた、なんて話を思い出したりも。スティーヴがキース・リチャーズのソロ・ライヴでバックを務め、活動領域を広げていくのは、それから間もなくのコト。当時のスライ&ロビーは、それくらい注目される存在だった。
90年代からゼロ年代にかけては、ダンスホール・レゲエとR&B、ラテン音楽、ヒップホップなどをハイブリッドにミックス。グラミー賞でも常連となった。ロビー・シェイクスピアは、21年12月に死去(享年68)。今頃スライは、空の上でロビーとの久々の再会を喜んでいるに違いない。
Rest in Peace...
そのトッシュがローリング・ストーンズのワールド・ツアーでオープニング・アクトを務めたことから、ミック・ジャガーやキース・リチャーズとの交流が生まれ、そこから人脈が拡大し、やがて世界的注目を集めるように。しかも単なるリズム・セクションとしてではなく、プロデュース・チームとしても活躍。ブラック・ウフルやマキシ・プリーストのようなレゲエ・スターを筆頭に、ボブ・ディラン、ジョー・コッカー、グレース・ジョーンズ、更にセルジュ・ゲンズブール、ジャクソン・ブラウン、オノ・ヨーコ、カーリー・サイモン、マドンナ、スティング、シンプリー・レッド、シネイド・オコナー、イアン・デュリーなどとも共演した。個人的に忘れられないのは、ニューヨークのセッション・シンガー:グウェン・ガスリーの 1stソロ(82年)。クインシー・ジョーンズとも共演している実力派ヴォーカリストゆえ、ブラック・コンテンポラリーなアルバムを作るのが普通だ。でも彼女はナンとスライ&ロビーにプロデュースを仰ぎ、ヒリヒリするような緊張感溢れるハイブリッド・ファンク・アルバムを完成させた。アレは素晴らしかったなぁ〜。
また日本では、パーカッション奏者ペッカーのジャマイカ・セッションに参加。チャンネル・ワンでレコーディングされた、日本初のダブ・アルバムと言われる『PECKER POWER』(80年)に大貢献している。その後も渡辺香津美や坂本龍一のアルバムに参加。香津美のニューヨーク録音作『MOBO』では、まだフュージョン系セッション・ドラマーのイメージが強かったスティーヴ・ジョーダンが、飛行機に乗り遅れて初日セッションに参加できなくなったスライのトラでロビーと組むナンバーも。コレ、最初はリズム・ボックスでトライしたそうだが上手くいかず、夜になって急遽スティーヴ・ジョーダンにコンタクト。彼ははじめ「もう酒 飲んじゃったよォ〜」と参加を渋っていたらしいが、ベースがロビーだと聞くと、ホンの5分ほどで飛んできた、なんて話を思い出したりも。スティーヴがキース・リチャーズのソロ・ライヴでバックを務め、活動領域を広げていくのは、それから間もなくのコト。当時のスライ&ロビーは、それくらい注目される存在だった。
90年代からゼロ年代にかけては、ダンスホール・レゲエとR&B、ラテン音楽、ヒップホップなどをハイブリッドにミックス。グラミー賞でも常連となった。ロビー・シェイクスピアは、21年12月に死去(享年68)。今頃スライは、空の上でロビーとの久々の再会を喜んでいるに違いない。
Rest in Peace...


































