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67年に結成され、翌年のデビューから約10年間、全米ヒットを連発したスリー・ドッグ・ナイト。3人のシンガーのうち、最も多くヒット曲を歌っていたチャック・ネグロンが、2月2日、米カリフォルニア州スタジオ・シティの自宅で、安らかに息を引き取ったという。死因は明らかではないが、チャックは30年間もCOPD(慢性閉塞性肺疾患)に苦しんでいたそうで、ここ数ヶ月は心不全を併発していたらしい。享年83。

スリー・ドッグ・ナイト(以下3DN)は、67年にL.A.で、チャック・ネグロン、コリー・ウェルズ、ダニー・ハットンの3人のシンガーで結成。そこにジミー・グリーンスプーン(kyd)、ジョー・シャーミー(b)、マイケル・オールサップ(g)、フロイド・スニード(ds)が加わり、ヴォーカル・トリオ+バンドの7人組としてデビューしている。

その後、3曲の全米No.1を含む21曲をトップ40にランク・イン。彼らは外部のソングライターの楽曲を上手にヒットさせることで知られ、ハリー・ニルソン、ランディ・ニューマン、ポール・ウィリアムス、ローラ・ニーロなどに成功のキッカケを与えた。またバンド・メンバーの変遷も興味深く。73年には、元ブルース・イメージのスキップ・コンテが、セカンド・キーボードとして加入。彼は後年、L.A.界隈のセッション・ミュージシャン/アレンジャーとして活躍する。74年後半になると、オールサップとスニードが3DNを脱退。彼らと、ひと足先にバンドを離れていたシャーミー、そしてボビー・キンボールが新たにSSフールズを組んだ。このグループは短命に終わるが、そのあとキンボールがTOTO結成に参加するのはご承知の通りである。

一方3DNの後任はなかなか落ち着かなかったらしい。が、初期ルーファスのアル・サイナー (g) やデニス・ベルフィールド (b) が参加。しかしこの頃にはフロント3人の動向も怪しくなって、麻薬とアンコールに溺れたハットンが脱退。その後を、以前から曲作りやコーラスなどで3DNに手を貸していたジェイ・グルスカが務めている。が、チャックも薬物で逮捕されたりして問題山積。コンテが抜けると、やはり元ルーファスのロン・ストッカートが後任を務めたが、結局グループは76年半ばに解散。その後マトモにソロ活動ができたのは、『TOUCH ME』を発表したコリーだけだった。ただしそれも商業的成功には程遠く、筆者が99年に『AOR Light Mellow』に掲載するまで、ほとんど見向きもされない状態だったと言っていい。結局3DNは81年に再結成し、83年に『IT'S A JUNGLE』というミニ・アルバムをリリース。ビル・ラバウンティ<Livin' It Up>をカヴァーしたりして面白いが、クオリティは低調。その後も断続的に集合離散を繰り返し、2015年にコリー・ウェルズが死去。

対してチャック・ネグロンも、いつしか別行動をとるようになり、95年に初のソロ作『AM I STILL IN YOUR HEART』を出している。プロデュースはかつて手を組んでいたリチャード・ポドラー。でもチャックの少々クセのあるハイトーンは健在で、なおかつ元ドゥービー、元シカゴのメンバーたちが参加。楽曲にもクリームやシャンペーンのカヴァー、バート・バカラックがアレサ・フランクリン&マイケル・マクドナルドやサイーダ・ギャレットに歌わせていた<Ever Changing Times>、バリー・マン夫妻とブレンダ・ラッセル共作で、レイ・チャールズが歌っていた<None Of Us Are Free>、ラス・バラード<Voices>などが選ばれ、かなりの力作になっていた。自分は結構気に入って聴いていたけど、インディからの発売(日本未発)だったためか、世間的にはほとんど無視され…。その後何枚かアルバムを重ねるも、どんどんジリ貧に陥っていった感がある。

近影を見ると、まるで別人28号で驚くけれど、個性的なシンガーだけに、もうひと花咲かせて欲しかった。<Joy to the World><One><Easy to Be Hard><Old Fashioned Love Song><The Show Must Go On>…。その歌声は今も耳の奥に残っている。

Rest in Peace...