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今日は知る人ぞ知る職人ミュージシャンの訃報が相次いで。まずはスコットランド出身のブルー・アイド・ソウル系シンガー:アレックス・リジャートウッドが、4月30日に現在住んでいる米国カリフォルニアのオレンジ・カウンティで鬼籍に。享年79。25年間連れ添った奥様によると、愛犬に見守られての安らかな旅立ちだったという。またスウェーデンのギタリストで、80〜90年代はニューヨークでセッション・ギタリストとして活躍したジョージ・ワデニアスが、母国スウェーデンで5月1日に逝去。こちらは享年80だった。
アレックス・リジャートウッドは、グラスゴー出身で、元々はアヴェレイジ・ホワイト・バンド創設者ロビー・マッキントッシュと活動していた。その後袂を分かったため、AWBには参加できなかったが、ジェフ・ベックと出会い、第2期ジェフ・ベック・グループのシンガーになる。しかしレコーディングに入ろうとすると、レーベルからNGを喰らって離脱。この時アレックスが書いてリハーサルしていた楽曲が、実は『ROUGH AND READY』に収録された<Situation>だった(作曲はジェフ・ベック)。この後アレックスはブライアン・オーガー&オブリヴィョン・エキスプレスに参加。72年作『SECOND WIND』の冒頭を飾る<Truth>は、まさに<Situation>で、こちらのクレジットはアレックスである。
アレックスは77〜78年頃までオーガーと活動した後、デヴィッド・サンキシャス(kyd)のバンドを経て、サンタナに加入。79年作『MARATHON』から『ZEBOP』『SHANGO』といった人気作に参加した後、80年代終盤まで在籍した。カルロス・サンタナのソロ作や、カルロス以外のメンバーで作ったプロジェクト『R.O.A.R』(85年)にも参加。88年にはAWB再編に参加して『AFTERSHOCK』を残しつつ、90年代初めまでサンタナのアルバムにも参加している。しかしこの頃からセッション活動が多くなり、インスト奏者やフュージョン・バンドのフィーチャリング・シンガーに起用されることが増えた。中でもKyd奏者デヴィッド・ガーフィールドや、ポーランド出身のAORアクト:ジョージ・G.のアルバムへの参加が印象に残っている。
偶然にも、筆者主催のトーク・イベント『WHAT'S AOR』の前回特集がブルー・アイド・ソウルの歌モノで、アレックスを紹介してサンタナの曲をプレイしたばかり。なのでちょっとショックだったな。
もう一方のジョージ・ワデニアスは、60年代末から母国スウェーデンで、その名もメイド・イン・スウェーデンというジャズ・ロック・バンドを組んでいた人。70年代に入ってソロ・アルバムを出しつつ、拠点をニューヨークに移し、ブラッド・スウェット&ティアーズに加入。72年作『NEW BLOD』から75年『 NEW CITY』までメンバーを務めた。彼の後任としてBSTに加入するのが、かのマイク・スターンである。その後しばらくスタジオ・ワーク主体になるが、いつしかニューヨークのトップ・ミュージシャンに絡むようになり。ロバータ・フラックやルーサー・ヴァンドロス周辺のアルバムでギターを弾くことに。自分がワデニアスの名をインプットしたのも、ルーサー『NEVER TOO MUCH』が最初だった。マルチ・ホーン奏者トム・マローンが仕切る、TVの音楽番組用に組まれたサタデイ・ナイト・ライヴ・バンドのレギュラー・ギタリストも彼。その後ドナルド・フェイゲンの目に止まり、2ndソロ『KAMAKIRIADO』に全面参加。スティーリー・ダンのツアーでも重用されている。
90年代中盤にノルウェーに移住し、その後は故郷スウェーデンで、自分のバンドやセッション活動を展開していたようだ。
どちらもフロントに立つタイプじゃなかったけれど、渋い歌声やキレのあるバッキング・ギターが、それぞれ記憶に強く残っている。
Rest in Peace....
アレックスは77〜78年頃までオーガーと活動した後、デヴィッド・サンキシャス(kyd)のバンドを経て、サンタナに加入。79年作『MARATHON』から『ZEBOP』『SHANGO』といった人気作に参加した後、80年代終盤まで在籍した。カルロス・サンタナのソロ作や、カルロス以外のメンバーで作ったプロジェクト『R.O.A.R』(85年)にも参加。88年にはAWB再編に参加して『AFTERSHOCK』を残しつつ、90年代初めまでサンタナのアルバムにも参加している。しかしこの頃からセッション活動が多くなり、インスト奏者やフュージョン・バンドのフィーチャリング・シンガーに起用されることが増えた。中でもKyd奏者デヴィッド・ガーフィールドや、ポーランド出身のAORアクト:ジョージ・G.のアルバムへの参加が印象に残っている。
偶然にも、筆者主催のトーク・イベント『WHAT'S AOR』の前回特集がブルー・アイド・ソウルの歌モノで、アレックスを紹介してサンタナの曲をプレイしたばかり。なのでちょっとショックだったな。
もう一方のジョージ・ワデニアスは、60年代末から母国スウェーデンで、その名もメイド・イン・スウェーデンというジャズ・ロック・バンドを組んでいた人。70年代に入ってソロ・アルバムを出しつつ、拠点をニューヨークに移し、ブラッド・スウェット&ティアーズに加入。72年作『NEW BLOD』から75年『 NEW CITY』までメンバーを務めた。彼の後任としてBSTに加入するのが、かのマイク・スターンである。その後しばらくスタジオ・ワーク主体になるが、いつしかニューヨークのトップ・ミュージシャンに絡むようになり。ロバータ・フラックやルーサー・ヴァンドロス周辺のアルバムでギターを弾くことに。自分がワデニアスの名をインプットしたのも、ルーサー『NEVER TOO MUCH』が最初だった。マルチ・ホーン奏者トム・マローンが仕切る、TVの音楽番組用に組まれたサタデイ・ナイト・ライヴ・バンドのレギュラー・ギタリストも彼。その後ドナルド・フェイゲンの目に止まり、2ndソロ『KAMAKIRIADO』に全面参加。スティーリー・ダンのツアーでも重用されている。
90年代中盤にノルウェーに移住し、その後は故郷スウェーデンで、自分のバンドやセッション活動を展開していたようだ。
どちらもフロントに立つタイプじゃなかったけれど、渋い歌声やキレのあるバッキング・ギターが、それぞれ記憶に強く残っている。
Rest in Peace....









































