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今日は午前中からこのミュージシャンの訃報で持ち切り。セッション・ベーシストの田中章弘が、5日に急逝していたことが明らかにされた。今朝、ご本人のSNSで奥様が投稿。71歳だった。
「長年にわたり主人を支えて下さった皆様、応援して下さった皆様、田中章弘のベースの音を愛して下さった皆様、、、、、皆様のご厚情に深く感謝申し上げます。葬儀は近親者のみで執り行いました」

一介のセッション・ミュージシャンでコレだけ騒ぎになっているのは、それだけ重要なアーティストの重要な時期に深く関わってきたから。そう、田中章弘の名前は知らずとも、この曲のベース・ソロは、音楽・ファンなら誰でも知っているだろう。

山下達郎<Bomber>

かのタツロー氏の出世曲で、一番のハイライトが、田中章弘が弾いたスラップ・ベースのソロだったのだ。それこそ、大阪のディスコでこの曲に火が点いていなかったら、今のタツロー氏はなかったかもしれない。それくらいの重要曲である。

田中章弘は大阪出身。20歳の頃、フォーク・シンガー:大塚まさじがマスターを務めるミナミの喫茶店ディランに出入りし、佐藤博(kyd)、石田長生(g)、林敏明(d)らとTHISを結成。オリジナル・ザ・ディラン や加川良のアルバムに参加し、鈴木茂に認められて、田中・佐藤・林が上京。鈴木茂&ハックルバックとなって、ティン・パン・アレー人脈に加わることになる。

ちょうど50年前というコトで、偶然機能アップされた画像も、ベースは田中章弘。「細野さんのライヴなのに、何故にベースが田中さん?」と訝しがる人も多いと思うが、この時彼は細野さんから直々に、「僕はマリンバを演奏するから、ベースは田中が弾いてよ」と頼まれたらしい。尊敬する先輩に頼まれてとても嬉しかったが、とても苦労した、と述懐していた。


当時の名コンビ、上原ユカリ(ds)と彼を組ませたのは実は伊藤銀次。それがそのまま山下達郎のバンドになり、かの<Bomber >が生まれる。レコーディングの時に受け取ったのはコード譜で、指示は「スラップで」とだけ。一発録りで3回録ったそうだ。でもそれがアマチュア・ベース奏者の間に、絶大なインパクトを与えることになった。

その後、高中正義や寺尾聡のアルバム/ツアーに参加。83年から参加した松任谷由実のツアー・サポートは約30年に及んだ。近年のシティポップ・ブームで名前が出る機会が増えたけれど、細野さんや小原礼、後藤次利、岡沢章、伊藤広規あたりと比べると、若干目立たないかも。でも、それほど器用じゃないが独特のグルーヴがある、というのが、周囲の評。ただ、逝くにはまだ、ちょっと早すぎるよ…

どうぞ安らかに…