








ソウル・シーンからの訃報が連続。しかも今度は大物、ピーボ・ブライソン。定期的に来日している親日家で、去年もライヴを開催したばかり。こういうヒトの突然死は、ショックがデカい。昨日、31日にジョージア州マリエッタの自宅で、脳卒中を起こして倒れた、という速報が入って驚いたが、それがこうして訃報に変わってしまった。75歳だったという。
ロバート・ピーボ・ブライソンは、1951年、サウスカロライナ州グリーンビル生まれ。ピーボは誕生時の名前ではなく、元々はピーポ、Peabo じゃなく Peapo。カリブ海のフランス領西インド諸島からの移民の血を引く名前らしいが、彼を最初にバック・シンガーに雇った地元バンドのリーダーが、そのフランス語的な名前をうまく発音できず、ピーボと呼ばれるようになったらしい。
ピーボ・ブライソンといえば、一般的に、ディズニー映画『美女と野獣』主題歌としてセリーヌ・ディオンとデュエットした<Beauty And The Beast>、同じくディスニー・アニメ『アラジン』のテーマで、レジーナ・ベルとデュエットした<Whole New World>という、共にグラミー賞をさらった2大バラード・ヒットが看板になるだろう。彼の訃報を伝えるメディアでも、この2曲を冠にしてくるのは火を見るより明らか。でもソウルや黒人音楽好きにしてみれば、それは下積みが長かったピーボが苦労の末に辿り着いた栄誉であり、まぁ、一種の御褒美みたいなモノ。その成功を喜ばしく眺めつつ、遠い存在になったなぁ、もう応援する必要ないなぁ、なんて、一抹の寂しさを感じさせるモノでもあった。
ピーボの活動が本格化したのは、いくつかのグループでチトリン・サーキットを回って実力を磨いている最中、アトランタにあるバング・レコードのスタッフに認められたこと。そこでまずは専属のシンガーソングライター/ミュージシャンとして契約を交わし、積極的に自作曲を歌うように。同レーベルの稼ぎ頭:ポール・デイヴィスのアルバムに参加したのも、この頃だ。そして76年に、バング傘下のBulletレーベルから『PEABO』でデビュー。R&Bチャートでいくつかスマッシュ・ヒットを飛ばし、すぐに大手キャピトルへ移籍。シンガー・ソングライターとして、<Reaching for the Sky ><I'm So into You>をR&Bチャート・トップ10へ送っている。
そうした好アクションに目をつけたキャピトルは、同レーベルのナタリー・コールとデュエット企画を立て、ボビー・コールドウェルのカヴァーを含む『WE'RE THE BEST OF FRIENDS(愛あるハーモニー)』(79年)が誕生。更にそれが、ダニー・ハサウェイの急死で難しい局面に立っていたロバータ・フラックの目に止まり、彼女のツアーに帯同。フロント・アクト及びロバータのデュエット・パートナーを務め、知名度を爆上げした。その模様が『LIVE & MORE』(80年) であり、その延長にオルゴールのように始まる名曲<Tonight, I Celebrate My Love(愛のセレブレイション)>を収めた人気作『BORN TO LOVE(愛に生きて)』がある。前後してミニー・リパートンやメリサ・マンチェスターともデュエット。こうしてピーボはデュエット名人の立場を確立し、エレクトラ〜コロムビアと移籍を経て、件のディズニー・ヒットを飛ばすに至ったのだ。
でも実を言うと、それと同時に自作曲が少なくなり、歌うことに重心を傾けるように。しかし、ソングライターの才を惜しむ声は、大きな成功への賛辞に掻き消されてしまったようである。だから、最初にロバータと絡み始めた80年頃からピーボを聴いてきた身としては、このシンガー・ソングライター時代の彼にも思い入れがあるので、ちょいと残念だった。
毎年のように来日していたので、ライヴも何度か観に行った。真っ赤なバラの花を一本一本、女性客に配って回るのが定番で、男性客にはガッチリ握手。カタコトの日本語MCも親しみやすく、愛すべきキャラクターの人だった。ダイアナ・ロスみたいに、アリーナ級のエンターテイメント・ショウを観に行くのに大枚注ぎ込む気はしないんだけど、ピーボのクラブ公演は、もう一回観ておけばよかったなぁ…。
Rest in Peace...
《amazon》
《Tower Records はココから》
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ピーボ・ブライソンといえば、一般的に、ディズニー映画『美女と野獣』主題歌としてセリーヌ・ディオンとデュエットした<Beauty And The Beast>、同じくディスニー・アニメ『アラジン』のテーマで、レジーナ・ベルとデュエットした<Whole New World>という、共にグラミー賞をさらった2大バラード・ヒットが看板になるだろう。彼の訃報を伝えるメディアでも、この2曲を冠にしてくるのは火を見るより明らか。でもソウルや黒人音楽好きにしてみれば、それは下積みが長かったピーボが苦労の末に辿り着いた栄誉であり、まぁ、一種の御褒美みたいなモノ。その成功を喜ばしく眺めつつ、遠い存在になったなぁ、もう応援する必要ないなぁ、なんて、一抹の寂しさを感じさせるモノでもあった。
ピーボの活動が本格化したのは、いくつかのグループでチトリン・サーキットを回って実力を磨いている最中、アトランタにあるバング・レコードのスタッフに認められたこと。そこでまずは専属のシンガーソングライター/ミュージシャンとして契約を交わし、積極的に自作曲を歌うように。同レーベルの稼ぎ頭:ポール・デイヴィスのアルバムに参加したのも、この頃だ。そして76年に、バング傘下のBulletレーベルから『PEABO』でデビュー。R&Bチャートでいくつかスマッシュ・ヒットを飛ばし、すぐに大手キャピトルへ移籍。シンガー・ソングライターとして、<Reaching for the Sky ><I'm So into You>をR&Bチャート・トップ10へ送っている。
そうした好アクションに目をつけたキャピトルは、同レーベルのナタリー・コールとデュエット企画を立て、ボビー・コールドウェルのカヴァーを含む『WE'RE THE BEST OF FRIENDS(愛あるハーモニー)』(79年)が誕生。更にそれが、ダニー・ハサウェイの急死で難しい局面に立っていたロバータ・フラックの目に止まり、彼女のツアーに帯同。フロント・アクト及びロバータのデュエット・パートナーを務め、知名度を爆上げした。その模様が『LIVE & MORE』(80年) であり、その延長にオルゴールのように始まる名曲<Tonight, I Celebrate My Love(愛のセレブレイション)>を収めた人気作『BORN TO LOVE(愛に生きて)』がある。前後してミニー・リパートンやメリサ・マンチェスターともデュエット。こうしてピーボはデュエット名人の立場を確立し、エレクトラ〜コロムビアと移籍を経て、件のディズニー・ヒットを飛ばすに至ったのだ。
でも実を言うと、それと同時に自作曲が少なくなり、歌うことに重心を傾けるように。しかし、ソングライターの才を惜しむ声は、大きな成功への賛辞に掻き消されてしまったようである。だから、最初にロバータと絡み始めた80年頃からピーボを聴いてきた身としては、このシンガー・ソングライター時代の彼にも思い入れがあるので、ちょいと残念だった。
毎年のように来日していたので、ライヴも何度か観に行った。真っ赤なバラの花を一本一本、女性客に配って回るのが定番で、男性客にはガッチリ握手。カタコトの日本語MCも親しみやすく、愛すべきキャラクターの人だった。ダイアナ・ロスみたいに、アリーナ級のエンターテイメント・ショウを観に行くのに大枚注ぎ込む気はしないんだけど、ピーボのクラブ公演は、もう一回観ておけばよかったなぁ…。
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